相守譜代之筋、神妙仁走廻之条、官途被下置也、

天正十二年

七月廿八日

義昌(花押)

福田民部少輔殿

→古河市史1472「小野崎義昌官途状」(福田昇造氏所蔵文書)。この時期の「義昌」は小野崎氏しか該当しないものの、なお検討の余地があると別記されている。

譜代の筋を守り、神妙に活躍していますので、官途を下しおかれます。