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『信長研究の最前線』

『信長研究の最前線』(2014年・洋泉社)は、最新の研究成果を織り込んだという前書きがあるので一読。『桶狭間』に言及した章があるものの従来説のおさらいだったので特にコメントはない。

ただ、今川氏が関係する部分でとても疑問な点があったので指摘を試みてみようと思う。

信長は、官位を必要としたのか(木下聡)

織田信長が初期に名乗った上総介について説明する際に、信長が今川家を意識してこの官途を名乗ったのではないかという仮説を書いている。だが、その前提となる今川氏の官途がおかしい。

「上総介は今川家代々の家の官途であり、この当時義元は、今川氏が上総介に任官する前に用いる、治部大輔の官途だったからである」(52ページ)

一読して疑問符がついた。今川氏親は一貫して「修理大夫」だけど……。ということで確認。『今川氏と遠江・駿河の中世』(大塚勲著・2014年・岩田書院)では、今川当主歴代の官途・受領名は以下のようになっている。

範国 不明
範氏 中務大輔→上総介
氏家 中務大輔
泰範 宮内少輔→上総介
範政 上総介
範忠 民部大輔→上総介
義忠 治部大輔→上総介
氏親 修理大夫
氏輝 不明
義元 治部大輔
氏真 上総介

著者の木下氏が指摘する、「治部大輔から上総介への変更」に該当するのは実は義忠のみ。「変更後が上総介」という緩い条件でも4名しかいない。年代的に戦国期に当たる氏親以降の3当主は変更自体を行なっておらず、やはりこの仮説は論拠が薄い判断できる。

織田・徳川同盟は強固だったのか(平野明夫)

平野氏は、松平元康が今川氏真に反した時期を1560(永禄3)年内とする仮説を提示している。その論拠は、5月1日の水野信元宛北条氏康書状写の比定年を永禄4年としている点にある。

その他にもあれこれ論拠めいたものを書いているが、近世史料を前提にして同時代史料を解析したり、「織田方に交戦史料がないから」といって松平元康と織田信長は戦闘していないと論点を飛躍させ、「松平方の相手が織田方でないなら今川方」と妙な結論に至っている。ここは論じ詰めても詮がなさそうなので語らない(寺部を中心とするこの地域は何度も今川方に叛乱を起こしており、義元死去を受けて国衆が蜂起したのだと思う)。但し、替地について誤解している点は明記しておいた方がいいかも知れない。

1560(永禄3)年12月の大村弥兵衛宛今川氏真判物で、大村氏の挙母領の替地を氏真が与えている。ここを平野氏は、知行を変更できるのだから、挙母領は今川方だと判断している。

だが、原文を読めば単純な今川方領域内での知行地変更ではない可能性が高い。なぜなら、この文書の後半で「彼替地之儀於三河国中令扶助畢=あの替地のことは三河国を挙げて扶助させるものである」という文言があり、国の成り立ちとしての危機を示唆し、挙母衆に与えられた133貫文はすでに失われているとした方が自然である。

閑話休題。では前掲史料を改めて読んでみよう。文頭にある「抑近年対駿州企逆意」という文言と後半の「去年来候筋目駿三和談念願」という表現から、この文書が書かれた前年から今川・松平の対立は始まっていると平野氏は推測したように見える(同書内では言及していない)。だがそう単純なものではない。

この文書は松平氏被官に同日付で出されたものと合わせて解釈すべきだろう。

北条氏康、酒井左衛門尉に、松平氏と今川氏との和睦成就のため協力を求める

「態令啓候、蔵人佐殿駿州一和之儀、以玉瀧坊申届候、成就於氏康令念願計候、併可在其方馳走候、恐々謹言、」

短文なので充分な比較はできないが、「近年」の表現はない。これは水野複数年にわたって今川と敵対していた水野氏向けの言葉だといえる。

また、「去年の筋目で和睦したい」という表現も、松平氏向けでは存在しない。水野氏に向けては「他の敵をさしおいて三河で内戦しても仕方がない」という前提で、永禄3年という今川義元生前の状態に戻したいという意向を示さねばならなかった。これは「松平と今川が和睦する過程で水野が浮き、利権を失うのでは」という不安を払拭させる狙いだったと思う。

元康が反したのは、永禄4年4月12日(正確には11日夜半)だと確定できる。これは、今川氏真判物にある「去酉年四月十二日岡崎逆心刻」という言葉で確実に判る。それまでの間、公然と今川氏に反したとは思えない。なぜなら、この4月12日の牛久保城攻撃で今川方は大混乱に陥り城内の兵糧米が不足して国衆が立て替えている体たらくだった。平野氏が指摘するように、元康と交戦した国衆に氏真が感状を出しているようなら、裏はかかれないはずだ。

余談だが、同書で「當國ヘモ被丶書由」を「仮定」だと記している(71ページ)のも気になる。「由」は伝聞であって仮定は意味しない。「当国にも文書を書かれたとのこと」という解釈が妥当で、仮定とするのであれば逆に文が「(若)當國ヘモ被丶書上者」となる筈だ(「若=もし」はなくても可だと思うが)。それとも、私が知らないだけで「由」には仮定の意も含まれているのだろうか……。

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