従四位下行治部大輔源朝臣義元敬白、

志摩国人等依無道、奪取商旅之財宝、号関路横悩参宮之道者、寔以暴悪之至也、近有仮義元力欲追伐彼悪徒之輩、即差遣人数事、併国土安穏万民和楽之起本也、然者長官神人等、蒙神慮合其力、令治罰賊党、於遂本意者、為義元存知之地、偈仰神威停止諸関、就中所々御神領之事、於皆済之地者不及是非、近年且神納且未済之地者、以其一倍可奉納之、一向無沙汰之地者、以其年貢十分一可奉納之、其外之土貢者、警固之武士可為在国之下行、是折衷上古下世覇者之権道也、弥奉仰冥感加被之願文、仍如件、

十一月廿六日 従四位下行治部大輔源朝臣義元 判(花押影)敬白

伊勢太神宮御宝前

→戦国遺文 今川氏編1527「今川義元願文写」(三重県・神宮文庫所蔵文書)

 志摩国人たちは無道で、商人たちの財宝を奪い取っています。関所と称して伊勢神宮に参拝する人を悩ましたり、本当に凶暴の至りです。義元は近日中に軍勢を派遣して、これら悪逆の連中を実力で排除しようと思います。国家が平和で国民が和やかに楽しむことが物事の基本ですから、諸々の関所は神威を使って廃止してほしい。特に神宮の領地ですが、きちんと納税している地所は有無を言わさず、最近は納税を滞らせている地所は元本を額面通りにして、完全に連絡が途絶えた地所は十分の一を、神宮に納税させましょう。納税者は警備隊をつけて派遣します。これは昔から現代に至るまでの覇者の道理です。ますます仰ぎ奉り、本当に感じ入りつつ願文を奉納いたします。

[warning]2007(平成19)年の解釈を改定。[/warning]

(別筆)
「謙信公御願書」

輝虎守筋目不致非分事

一関東江年ゝ成動、静謐稼之事茂、上杉憲当東官領与奪、依之相動及挊事、

一信州江成行事、一者小笠原・村上・高梨・須田・井上・嶋津、其外信国之諸士〓[穴+牛]浪、又者輝虎分国西上州江武田晴信成妨候、又於河中嶋、手替之者多数為討死候、此所存を以、武田晴信退治之挊、非道ニ不可有之事、

一越中江行之事者、神宗衛門尉・椎谷右衛門大夫間之弓矢取結候間、様ゝ雖及意見、無承引候、依之、椎谷亡父以来申合云、又者長尾小四郎養子成候云、旁難捨、及挊候、是又非分ニ無之候、惣別当家従坂東及下知候間、官領意見次第成之候、縦不頼候共、及意見義非分ニ有之間敷事、

一以後之事者、如何候得、於只今者、何国ニも、料所一ヶ所もまつハらす候間、当座之依怙、非分ニ有之間敷事、

一輝虎於分国寺社神領武士之拘置事、世乱かハ敷により、或者輝虎不付意見、或無據存分ニ候間、如斯候、併堂社仏堂之修理建立、寺社神領之事をも及心通、少つゝも申付候、武田晴信・伊勢氏康退治之上者、如前ゝ、弥涯分ニ可申付候、少にても輝虎於一代、あらためて非分不致事、惣別大小事共、神慮より外者頼不申候、輝虎不知非分者不存候、此上之儀者、輝虎諸願成就処也、如件、

永禄八年六月廿四日

[御判ニ丸御朱印有之]

上杉輝虎(花押)

愛宕

 御宝前

→神奈川県史 資料編3「上杉輝虎願文写」(歴代古案十)

 輝虎が筋目を守り非分をしていないこと。一、関東へ連年出撃して平和をなしたことも、上杉憲当の関東管領与奪、これにより出撃して実績を上げたこと。
 一、信濃国へ邀撃を行なったこと。第一に小笠原・村上・高梨・須田・井上・嶋津、その他信濃国の諸士浪人し、または輝虎の領国西上野国へ武田晴信が妨害を行なったので、川中島においても、子飼いの者が多数討ち死にしました。この所存で、武田晴信を退治するための実績です。非道ではないこと。
一、越中口へ邀撃をなしたこと。神宗衛門尉・椎谷右衛門大夫の間で紛争していたので、色々と意見に及んだのですが、落とし所がなく、椎谷のことは亡父以来申し合わせていることといい、または長尾小四郎の養子にしていることといい、どう見ても捨てがたく、援軍しましたこと、これもまた非分ではありません。総じて当家のことは、坂東より下知がありましたので、関東管領の意見次第になりまして、たとえ頼まれなくとも、意見することは非分ではないこと。
一、後のことはさておき、現在はどの国においても料所1箇所もねだったりしていません。時々の依怙、非分はありません。
一、輝虎の領国において、寺社神領を武士が保持することは、世を乱すので、あるいは輝虎が意見を付けず、あるいは存分によっていないので、このようにしました。そして堂社仏堂の修理と建立、寺社神領のことをも、心通に及び、少しずつでも指示しています。武田晴信・伊勢氏康が退治されたならば、前々のようになるよう、ますます、及ぶ限り指示しましょう。改めまして、輝虎の一代において非分を行なわないことは、総じて大小のことでも、神慮以外は頼みません。輝虎が非道を知らずに思うことなく、この上は輝虎の諸願が成就するところです。