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上杉憲房、発知山城入道に、権現山合戦で戦死した大沢右京父子の相続を指示する

大沢右京父子去年上田一戦之時討死、然処名代可相続骨肉無之歟、因茲為近所故、孫子亀寿致彼遺跡、忠儀不断絶様ニと申候哉、殊彼骨肉親類中ニ無拠遺跡可令相続人体罷出申事候者、其時者不及異義可相渡段、以書付申之間、任其義候、彼後家 …

上杉憲房、上乗院に、関東・越後の事情を伝えて、長尾六郎・高梨摂津守の追討発令を要望する

御上洛之路次如何、無御心元候、抑一心院事、大概無相違候処、去年越州へ罷立以来、彼寺領有違乱之族相煩候、口惜存候、然而系図御上、於其偏失本意候、雖然於時宜者事成候間、門主之御前、公方様被得上意、被差越御代官等御刷候者、定治 …

足利高基、横瀬新六郎が長尾但馬守と活躍したことを賞し、憲房の武蔵出兵に意見するよう伝える

[封紙ウハ書]「(異筆)『永正九年七月七日到来』横瀬新六郎殿 高基」 今度長尾但馬守相談、於其口大功候之条、忠信之至候、然者、至武州憲房出陣、被相急之様景長令談合、可加意見候、巨細昌松首座可令対談候、謹言、 七月二日   …

上杉憲房、鏑木兵部少輔に、代々の忠義と釜形陣以来の功績を賞して給地する

対当方代々忠儀之上、殊釜形陣以来、別而被捽忠信条、感入候、可諄も同意候き、然間一所可相計由候処、慮外之進退之上、無其曲、雖然非可失其筋目候之間、任本願寺意見、雖少地候、小美野之内古山分并善徳寺分事、先可被相抱候、巨細三富 …