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歴史から見た『政治』 北条氏康書状による一試見

『戦国大名の危機管理』(黒田基樹著・歴史文化ライブラリー)では、北条氏康がぎりぎりの状況で国を保っている姿が描かれている。飢饉と侵略をモチーフにした良書だが、ここでは若干異なる見地を試みようと思う。

政治とは、未来に向かって社会の再生産を促すことを目的とする。歴史を調べていて、それを学んだ。再生産を継続するためには、資源の適切な再分配が必須だ。但し、再分配の適切さは繊細なものだ。再分配が強過ぎると勤労の停滞を招くし、弱過ぎると社会構造の硬直化につながる。

最も身近な例では家庭が挙げられる。子供は生産しない存在で採算に合わないが、次世代を負うものだ。このため、親は子供へ資源を供給する。但し、再分配が強過ぎて過保護となると子供は自立しない。逆に資源供給が少な過ぎると子供は適切に育たない。

この繊細な調整を綱渡りで行なうのが『政治』だ。この言葉が持つ「人員間の総意形成」や「利権調整」は、再生産のための手段でしかない。

戦国時代でも事情は同じだ。北条氏康書状写で喝破されているように、見せかけの『政治』は意味を成さない

縦善根有之共、心中之邪ニ而、諸寺諸社領令没倒様なる国主ニ付而者、如何様之大社之御修理、何度致之候共、神者不可受非礼、縦不向経論聖教、常ニ不信之様ニ候共、心中之実、即可叶天道候歟

たとえ善根があったとしても、心中が邪で諸々の寺社の領地を没収するような国主だとしたら、どのように大きな社を何度修理したとしても、神は非礼だと受け付けないでしょう。たとえ経綸と聖教に背いて常に不信心のようだったとしても、心中に実があれば、すなわち天道に適うのではないでしょうか。

氏康がいう『心中之実』とは、アジール的存在で資源の再分配を司っていた寺社を機能させることである。そのためには、建造物の修築や政治のお題目、儒教に背くという判断も為政者は覚悟しなければならない。

去年分国中諸郷へ下徳政、妻子下人券捨、為年経迄遂糾明、悉取帰遣候、当年者諸一揆相之徳政、就中公方銭本利四千貫文、為諸人捨之、蔵本押置、現銭番所集、昨今諸一揆相ニ致配当候、家之事、慈悲心深信仰専順路存詰候間、国中之聞立邪民百姓之上迄、無非分為可致沙汰、十年已来置目安箱、諸人之訴お聞届、探求道理候事、一点毛頭心中ニ會乎偏頗無之候間

少し長いが、最初に挙げた書状の前段である。

去る年に分国中の諸郷へ徳政を発布し、妻子や下人の売り証文を捨て、年を遡って解明しました。ことごとく返還しています。当年は諸一揆の人々に徳政を行ない、とりわけ公方銭の本利4000貫文を諸人のために破棄、金融業者から現金を押収して番所に集め、昨今は諸一揆の人々に配布しています。家のことは、慈悲心と深い信仰の順路を専らとして考えを突き詰めており、国中の聞こえとして、民百姓の上までも非分なく裁断するために十年来目安箱を置き、諸人の訴えを聞き届け、道理を探求しておりますこと、一点でも毛頭でも心中に差別の心がきざしたことはありません。

ここまで徹底的に資源の再分配を行なって初めて、後北条氏は「大途」を名乗り「公方=公儀」として機能できたのだ。個人の所有権の概念が強くなった現代から見ると不可思議な法令である『徳政令』も、激変する社会構造・頻繁な天変地異に対応した荒っぽい再生産処置だったと考えられる。氏康は、税・借金という名目で民間が預けてきた富を、再生産のために投下して「徳」を発揮した。中世の富豪が『有徳人』と呼ばれたのは、再生産投資を期待してのことだったのだろう。

コメント 2

  • サンデル教授の授業かと思いましたよ。
    金剛王院の書状を読むと、氏康殿には、当主である氏康に意見してくれる良いアドバイザーがたくさんいたのだろうなと思います。
    ところで、分配される方はいいですが、取られた方に不満はなかったのかしら?

    • コメントありがとうございます。

      融山の書状はまた後日アップしますが、結構率直に意見しています。氏康・氏政・義元・氏真は多くの書状を読んできたのでそれぞれの性格が見えてきましたが、氏康は直情径行でプライドが高いところがあります。すぐに結論を出したがるような気配があるので、周囲はなかなか意見を言いづらかったんじゃないかなと。それでも、諫言を真摯に受け止める度量はあったようで、融山の意見にもきちんと反論しています。

      再分配に当たって搾取される側が反感を持ったのでは、というご質問ですが、現代の累進課税と同じで不満は持ってもやむを得ないと納得はしていたと思います。ここが経済の一見不思議なところで、富裕者が富裕者であるためには、過剰な貯蓄をしてはならないのです。貯蓄した通貨は『死財』となって、世の中に出回る通貨が減ってしまいます。この結果、通貨の価値が上がって物の価値が下がる状態(デフレ)となります。そうなると、そもそも富裕者が通貨を貯蓄するための手段「物の販売」も収縮してさらに通貨が減っていきます。いわゆるデフレ・スパイラルです。

      これを防ぐのに、公共サービスで強制的に通貨を回す方法があります。

      たとえば、ある地主が100石の収穫を得たとします。これを売却したら100貫文になります。このうち、次の耕作作業費として90貫文を使うと100石がまた得られます。普通に考えると余った10貫文は貯蓄しますね。

      同じ地主が他に9人いたとして同様に10貫文ずつ貯蓄している状況を想定します。この時、100貫文で新しい耕作地を作れるのだとしても、地主10人が折衝してそれぞれの配分を定めるのは効率的ではありません。何故なら、新しい耕作地の権利分配や災害・侵略時の保障などを各自が請け負うには規模が小さ過ぎるからです。

      ところが、1000人の地主を統括する中立的な領主がいたら、そこに余剰資産を預けられます。領主は1万貫文という巨大資本を分配し、領域警備・治水・開墾・不作時の備蓄・仲裁を請け負い、中長期の再生産を保障するべく計画を立案します。生産から落伍した者を雇用して新たな生産に組み込んだり、共同体のために死んだ者の遺族を保護したり、一部には不利でも領域全体の生産量が上がる開発を行なったりです。この結果、全体の生産が盛んになれば景気も向上して通貨流通量も増大し、それぞれの地主も利益が大きくなります。

      この辺りの経済史を、ものすごく判りやすく書いたのが『家康くんの経済学入門』(ちくま新書・内田勝晴)です。残念ながら書店では入手不可能なので、もし図書館でお見かけしたらご一読下さい。

      ※但し、中世は国内で通貨発行を行なっておらず、中国から輸入した通貨に頼っていました。このために景気の管理は極めて難しく、戦国大名はかなり苦労したようです。

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