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鳴海原合戦時系列のページを更新

 表題の通り、これまで集めた史料を元に大幅に加筆を行なった。1543(天文12)年から1567(永禄10)年までの史料を集め、三河を巡る織田・今川氏とその関係者の動向を中心に列記してある。
 その史料の大半は今川氏の関係者によるものだが、これは恣意的に選別したのではなく、織田氏関係の史料が手元になかったことによる。典拠は歴史記事の出典にあるが、この他にご存知の向きがあれば是非情報をお寄せいただきたい。
 なお、時系列の見直しで、検証a21:小豆坂合戦の趨勢内の記事を改変した。大村弥三郎が田原を攻撃していたのは1547(天文16)年までであり、義元感状で「至于当年二ヶ年詰陣、昼夜用心敵城不虞之働」としているのは別の拠点であり、恐らく医王山砦だと考えられるためである。

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