北条氏政、遠江国への遠征部隊の概要を定める
遠候之儀大藤・清水両人ニ任候、其外之衆一騎一人も出ニ付而者可申越候、検使可為布施佐渡守、此掟妄ニ付而者可為曲事候、恐々謹言、 十二月十八日 氏政(花押) 清水太郎左衛門殿 布施佐渡守殿 大藤式部丞殿 杉山周防守殿 →戦国 …
遠候之儀大藤・清水両人ニ任候、其外之衆一騎一人も出ニ付而者可申越候、検使可為布施佐渡守、此掟妄ニ付而者可為曲事候、恐々謹言、 十二月十八日 氏政(花押) 清水太郎左衛門殿 布施佐渡守殿 大藤式部丞殿 杉山周防守殿 →戦国 …
御直札被下候、謹而奉拝見候、仍武田信玄被除候付而、早速御迎雖可被進置候、信玄無相違被除候付而、敵之動之様子見合、其上御迎可被進置段ニ付而、只今迄被致延引候、内ゝ拙者事申請候而、此度候間、御迎ニ可馳参覚悟候処ニ、信玄自身相 …
知行方之儀、如先代為不入進候、於公私之内も別而頼母敷思召候間、可被守立事、専一候、我ゝ若輩ニ候之間、如此候、粉骨尽就走廻者、弥ゝ可引立候、為後日仍如件、 永禄四 辛酉 年 二月吉日 氏朝(花押) 江戸彦五郎殿 →-戦国遺 …
先日者、御懇札再三披見本望候、 一、年来国家御祈念頼入候之処、此度北狄出張、国中山野之躰、被失面目之由、更不及分別候、去春恐景虎威勢、為始正木、八州之弓取不残雖寄来候、武相城之内、江戸・河越七八ヶ所之地、無相違、結句度ゝ …
先日者令啓喜、参着候哉、仍其表遂日御利運之由、雖不始子細、御武略無比類候、今度上州へ及行、箕輪・総社・倉賀野郷村悉撃砕、作毛以下苅執、先至于当国納馬候、来月下旬今川・北条申合、必越利根川、此時可付関東之是非存分候、畢竟御 …
内ゝ自是可申届候処、預御使候、本望候、 御所様小金迄被移 御座之由、先以目出度令存候、証人衆近日相調可申候、可御心安候、先ゝ、御台様遠行、誠以無是非次第候、氏康心中過御察候、抑去年以来関宿之地御籠城、被尽粉骨候、御忠信無 …
如来意、依無題目、久不能音問候、向■城取普請、悉出来、人数三日以前納候、可御心易候、就中 大上様御不例之由候、相替儀候者、可承候、委曲岩本可申候、恐々謹言、 五月廿八日 氏康(花押) 野田殿 →戦国遺文 後北条氏編 「北 …
幸便間、令啓候、於御当地無二被遂忠信、被尽粉骨段、御高名之至、誠以不及是非次第候、然者、早ゝ可出馬候処、両総相調子細依有之、令遅ゝ候、此上ハ急度致出陣、葛西筋儀、涯分可走廻候、条ゝ義板橋申含候処、路次不自由故、于今江城逗 …
為駿府御加勢、旧冬以来至当夏河越籠城、昼夜辛労、被尽粉骨候、殊更度々馳逢、軽身命被走廻候、氏真へ具可申披候、仍太刀一腰景光作、并河越庄内網代郷進之候、恐々謹言、 永禄四年 四月八日 氏政御判 氏康御判 小倉内蔵助殿 →神 …
長ゝ籠城辛労候、此表皆ゝ同心之者共、可申聞候、仍坂匂陳取之敵退散之間、様躰追而可申越候、猶随波斎可被申候、恐々謹言、 閏三月四日 氏真(花押) 小倉内蔵介殿 「[後筆]河越城ニ籠ル節也」 →戦国遺文 今川氏編1666「 …