武田晴信、長井隼人に戦況を知らせ、快川和尚の道中保全を依頼する
先日者、陣中へ飛脚祝着候、仍越後衆敗北之已後、至上刕出馬、如存覃行帰府、別而入魂候条、定而可為大慶候、随而崇福寺快川和尚、為恵林入院、當国へ来臨候、路次中傳馬以下馳走、偏ニ憑入存候、恐々謹言、 十月四日 信玄(花押) 長 …
先日者、陣中へ飛脚祝着候、仍越後衆敗北之已後、至上刕出馬、如存覃行帰府、別而入魂候条、定而可為大慶候、随而崇福寺快川和尚、為恵林入院、當国へ来臨候、路次中傳馬以下馳走、偏ニ憑入存候、恐々謹言、 十月四日 信玄(花押) 長 …
御札拝覧申候、御家中之體、如仰外聞不可然次第候、於此方令迷惑候、不寄退候間共、不被捨置可被仰談事可然候、何篇重而以使者御存分可承候、三郎殿様雖若年之義候、不謂御苦労可為尤候、猶ゝ期来音候、恐惶謹言、 六月廿二日 道三(花 …
急度馳筆候、仍聞得分ハ、濃州一変、殊因幡山被則由、雖不初儀候、無比類擬目出度、為其不取敢以脚力申送候、何様重而可申遣候、恐々謹言、 七月十三日 輝虎(花押) 織田尾張守殿 →愛知県史 資料編11「上杉輝虎書状」(織田信長 …
就濃州之儀、尾張守如存分被申付、為祝儀宝蔵院差越被申珍重候、殊更時宜可然之由候、於良頼本望候、弥長久被仰談候者尤ニ候、於様躰者、宝蔵院・竜蔵坊可被申候条、不能具候、恐々謹言、 六月十五日 良頼(花押) 山内殿 →愛知県史 …
従半羽殿被懸御意候、御領中方之内を以五百疋進之候、乏少之至候へ共、先如此候、恐々謹言、 正月十八日 織田源助 信盛(花押) →愛知県史 資料編11 「織田信盛書状」(熱田浅井家文書) 1562(永禄5)年に比定。 半羽 …
三河商人木綿之事■■■■■被申扱、速水勘解由左衛■■■■為礼物三百疋三種二荷持参■■■商人中合点にて相■候由■■■■可然候、時分柄候間、無申事様相果可然候、次 上へ御礼物■■■■被相急候て可然候、不可有油断■■■■恐々謹 …
急度令啓上候、仍今度三河商人、此方山中木綿通申候処、四本衆被押留候、自先規きわたなと被留候事、一切無之儀候、四本衆之儀も此方領中上下被仕候付而、別而入魂儀ニ候、我等も対四本江、雖不存如在候、新儀被申条如此候、被加御分別、 …
毎度出陣誠以粉骨感入之至候、仍鞍一勢進之候、委曲露条目候間、略紙面候、謹言、 九月十日 岩手右衛門佐殿 同助市殿 →戦国遺文 武田氏編「某書状」(山梨市・信盛院文書) 毎回の出陣、本当にお疲れ様なことだと感じ入っており …
其以後者不申承候、仍高白斎注進之分者、越後衆雖令出張、無指儀退散之由先以御安心候、其後如何候哉承度候、因之陣中江以飛脚申候、恐々謹言、 八月廿九日 氏真(花押) 武田彦六郎殿 →戦国遺文 武田氏編「今川氏真書状」(内閣文 …
急度申候、仍去年者早々御下共候、然者貴所去年被御申請候御判形、又者先御判形も申掠られ候か、左様之段丹波方被申越候間、牛窪へ御越候而、其御断被仰候而肝要ニ存候、若無御出候而者、重而被申様候ヘハ、貴所御ため如何ニと存候間、早 …