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武者めくという事

後北条氏がその最末期に分国総動員をかけた印判状は有名で「ひらひら武者めくように」という一節はよく引用される。では何故武者めかなければならないのだろうか。 同じく同氏の軍役規定では、宛所の給人が「馬上」であるように指示した …

後北条家中の長老

先日、早雲寺住持の明叟宗普を調べた折り、彼が氏康と同年齢だと知った。北条綱成も同い年となる。また、今川氏輝も同年なので、氏康室の瑞渓院殿も年齢は近い(氏輝と同母。姉か妹かは不詳)。幻庵の名で知られる北条宗哲は彼らの20~ …

上田長則の親心

松山城主の上田長則が、元服したてと思われる木呂子新左衛門に宛てた文書を紹介した。「親の苦労(後見?)で最初は奉行するものだが、木呂子家は代々の近臣だから特別に扱う」と書いているので、新左衛門は父を失って幼くして元服、相続 …