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北条氏繁、白川義親へ、関東の戦況を伝え、蘆名氏との誓詞交換の促進を依頼する

御貴札奉披閲候、■承意、輝虎出張東上州ニ在陣、其上去月十日号桐生地へ兵粮可指入擬を以、越州■■■■処、頓速被乗向候之条、兵粮一粒も城中へ不入得、剰翌朝退散候、指向所雪水満水人馬之渡依無之、川上へ押廻、無二可遂一戦由被存候 …

武田勝頼、浦野宮内左衛門尉に、北条氏政援軍として利根川左岸へ渡るよう要請する

急度染一筆候、仍自氏政如催促者、以其表之人数、至沼田・厩橋之間、一動所望由候、無拠儀候条、各乍大義、内藤有談合、河東へ可被相勤事肝要候、委曲令附与玄東斎口上候間、不能具候、恐ゝ謹言、 壬十一月九日  勝頼(花押) 浦野宮 …

北条綱成、結城義親に、関宿での和議に対する義親の意見を氏政へ伝えると約束する

極月十二日之御懇札、当年昨九日令披見候、条々御懇志本望至極候、仍旧冬於関宿始佐・宮東方之衆、氏政懇望、就此儀、御存分具被露御紙面候、尤子候左衛門大夫ニ申付、氏政具為申聞候様ニ、随分意見可申付候、幸佐・宮和之上者其口之調儀 …

上杉顕定、三田弾正忠に、高倉偵察を含む作戦動向を知らせる一方、椚田防御が重要であることを示す

就其口敵相動注進、只今戌刻到来、火手見候上無心元候間、長尾修理亮其外至于高倉差越候処、敵入馬候由、告来候間、至于酉刻帰陣、今日刷之次第、被露紙面候、無是非候、椚田事大切候、彼地へ動候者、則被馳籠、堅固之備肝要候、恐々謹言 …

上杉顕定、長尾景春に、久下信濃守の伊勢参拝道中を保障するよう、伊勢宗瑞への仲介を依頼する

久下信濃守事、累年相守当方、忠節異于他候、寔可被聞及候、仍近日可参宮分候、然者東海道於可透候間、往還無相違様、伊勢宗瑞方へ懇被申越候者、可喜入候、恐ゝ謹言、 正月晦日  可諄判 長尾左衛門入道殿 →神奈川県史 資料編36 …

足利高基、栃木雅楽助に、小山政長が味方になった経緯を踏まえて忠節するよう伝える

政長復先忠之上、無二相守走廻候者、可為神妙候也、 二月五日  (高基花押) 栃木雅楽助とのへ →戦国遺文 古河公方編558「足利高基書状写」(新編会津風土記四)  政長が先の忠義に復した上は、第一に守って活躍するならば神 …