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カテゴリー «史観雑感»

黄梅院殿の葬地

黄梅院は甲斐府中東郊にある大泉寺の塔頭である。場所は竜地郷にあったが、現在はごく小さな石塔があるだけだ。扁額には「延命山黄梅院」とあるという。 延命山という言葉には父としての晴信の想いが込められているように感じられる。結 …

氏政前室の黄梅院殿

閨閥を調べていて、氏政室が謎に思えて来た。死没の経緯が不明だし、戒名が2つある。 黄梅院殿春林宗芳大禅定門 黄梅院殿智栄鳳瑞尼 上が後北条氏に伝わるもので、下は実家の武田氏の伝であるという。晴信正室の子で氏政正室でもあっ …

宗哲のこだわり

氏康の母とされる養珠院殿は北条宗哲の書状に登場する。永禄9年と比定されている、嫁入りする娘に送ったものに「座頭と親しくするものではない。養珠院様の頃はそんな事はありえなかった」と書いていた。私は、この記述に引っかかりを覚 …

戒名のない氏綱継室

氏綱継室の近衛氏について考えてみた。『北条早雲とそのー族』で、彼女の弟の年齢から、嫁した際に30歳をとうに越していたとして、多分に形式上の婚姻だったと指適している。前回も触れたが、氏綱が晴氏の外戚となるために家格向上目的 …

北条氏綱の子供たち

氏康の母は養珠院殿でほぼ確定と見てよいだろう。同母の兄弟としては、山木大方が最有力だと思う。今川貞世の系譜である堀越六郎と結婚しているし、役帳で養珠院寺領となっている伊豆国山木を領している。 古河公方の足利晴氏に嫁した芳 …

倩々雑記

年の瀬も押し迫り、また狂躁の時節が到来した。これより如月の中頃まで生業が喧しくなる。記事も史料アップも暫時滞るだろう。だからという訳ではないが、少しくは思いつくままの書付を散らしてみようと考えた。文献の裏付けもなく脈絡も …

東下りの閨閥 その1

■序■ 後北条・今川・武田女系閨閥図 種徳寺殿の正体について検討していく中で、改めて後北条代々の当主正室が気になってきた。あくまで暫定のものだが、後北条年表と家臣団人名辞典から閨閥のつながりを表にしてみた。私の仮説も織り …

もう1人の竹王丸

竹王丸というと、1533(天文2)年7月に山科言継が尾張国で出会った今川竹王丸が有名である。俗に『氏豊』とも呼ばれる人物は、その後姿を消す。 今川本家が嫡男に用いる幼名は竜王丸(たつおうまる)。「たけおうまる」はこの読み …