後北条氏、羽田代官・百姓に東海船3艘の準備を命じる
今度御出陣之御留守、海上備、左衛門大夫被仰付候、其地船東海三艘、舟方一艘六人乗、積十八人、中五日致用意、如何様御判船候共罷出、可走廻、十六日目ニハ則可罷、此上難渋申船方をは、則奉行人搦取、可為引船をハ可押立、若奉行就無沙 …
今度御出陣之御留守、海上備、左衛門大夫被仰付候、其地船東海三艘、舟方一艘六人乗、積十八人、中五日致用意、如何様御判船候共罷出、可走廻、十六日目ニハ則可罷、此上難渋申船方をは、則奉行人搦取、可為引船をハ可押立、若奉行就無沙 …
為上州普請、近日出馬候、浦賀ニ者、左衛門大夫父子・遠山左衛門・布施・笠原已下人数、たふゝゝと指置候、可被存心安候、鎌倉ニ者、幻菴可有在陣候、氏政当府之間、其口之儀可被申越候、然間敵地ニ被付置目附、節ゝ可有注進候、其口之儀 …
於于去二月十五日信州水内郡葛山之地、頸壱討捕之条、戦功之至感入候、弥可抽忠信者也、仍如件 弘治三 丁巳 三月十日 晴信(印) 岩下藤三郎との →甲府市史「武田晴信感状」(甲州古文書) 去る2月15日に信濃国水内郡葛山の …
今十九、於信刕更級郡川中嶋一戦之時、頚壱討捕之条神妙之至感入候、弥可抽忠信事肝要候、仍如件 天文廿四年乙夘 七月十九日 晴信(印) 土橋対馬守との →甲府市史「武田晴信感状」(甲州古文書) 今日19日、信濃国更級郡川中 …
今十一巳刻、於信州佐久郡一戦之砌、頸壱討捕之条、神妙之至候、弥可抽忠信事肝要候、仍如件 天文十七戊申 九月十一日 晴信(印) 土橋惣右衛門尉との →甲府市史「武田晴信感状」(甲州古文書) 今日11日の巳刻、信濃国佐久郡 …
今十九卯刻、於信州塚魔郡塩尻峠一戦之砌、頸壱討捕条、神妙之至候、弥可被抽忠信事肝要候、仍如件 天文十七戊申 七月十九日 晴信(印) 土橋惣右衛門尉との →甲府市史「武田晴信感状」(甲州古文書) 今日19日卯刻、信濃国筑 …
今六日申刻於信刕佐久郡小田井原合戦、頸壱討捕之条神妙之至候、弥可被抽忠信者也、仍如件 天文拾六年丁未 八月六日 晴信(印) 市川五郎次郎殿 →甲府市史「武田晴信感状」(甲州古文書) 今日6日申刻、信濃国佐久郡小田井原で …
一、壬寅九月廿五日、諏方信濃守与御一戦之砌、御東者申、其上高名仕候、於在所者、親者伊豆涯分忠信仕候事 一、甲辰冬、諏方地下人在ゝ所ゝニ逆心人数、就中同名山城被官佐渡与由候て、殊外健者候、逆本之儀条、討進上可申由、板垣駿河 …
十一日之注進状今十四日戌刻着府、如披見者越国衆出張之由候哉、自元存知之前候条不図出馬候、委曲於陣前可遂直談候趣具承候、飯富兵部少輔所可申趣候、恐々謹言 三月十四日 晴信(花押) 木島出雲守殿 原左京亮殿 →甲府市史「武田 …
大坂へ遣候当方之使者、近日其国へ下着之由、先度飛脚来候条越山候、仍長尾上野乱入、自茲、北條氏康申合、既令進陣候間、不得退候、如只今者、景虎滅亡必然候、幸御門跡之御下知之旨、近年申談筋目、御門徒中有相談、此時神保同意、向于 …