近藤右京亮、秀憲房に琵琶島の土地を売却する
永代売渡申田地事 合而壱段ハ 在坪ひは島 小作五十斗代 右件田地者、近藤右京亮雖為名田之内、従有用要、現銭四貫文定候て、秀憲房へ永代売渡申処実正也、但此内より公方年貢五升、十文毎年御沙汰可有者也、此外 …
永代売渡申田地事 合而壱段ハ 在坪ひは島 小作五十斗代 右件田地者、近藤右京亮雖為名田之内、従有用要、現銭四貫文定候て、秀憲房へ永代売渡申処実正也、但此内より公方年貢五升、十文毎年御沙汰可有者也、此外 …
(三月) 同十八 井ノ口に逗留、長井殿御いせい無申計候、常覚院之御馳走、是又無申計候、城一段見事、 尾張国 同十九 岩倉ニ着、道六里也、 宿主 菅 四郎 近比ミられる者にて候 …
大御堂寺大工之儀、向後不相定候、何時茂御造作之時者、何之番匠候共可被仰遣者也、仍如件、 永禄参 九月 日 信元(黒印) 大御堂寺 →愛知県史 資料編11「水野信元黒印状」(大御堂寺文書) 大御堂寺大工のこと、今後は特に …
向山所迄一札披見、仍村上義清逆心付而、七月朔日出馬候処、不慮一戦得大利候、随而伊奈郡地下人少々相替就企逆儀、為其成敗当郡迄納馬候、兼又氏康追日入魂申候条、宜預馳走者可為喜悦候、尚向山又七郎可申越候、恐々謹言、 三月七日 …
御状具披見申候、仍去年両度三州今橋・田原にての御走廻之段、懇披露申候、雪斎へも様躰御談合申候、其上御感状相調進之候、殊其方御粉骨之段、不始于今毎度御忠節一段、被感覚候、併御冥加之至候、并御同名・親類・被官以下、是も各申調 …
山口平八死迹之下地之儀、不及巨細候へ共、如前々、無御相違可被引得候、於後々違乱煩之儀有間敷候之件、 天文拾九年 庚戌 五月十日 津坂源四郎 秀長(花押) 笠寺 東光坊 →愛知県史 資料編10「津坂秀長証状」(東光院文書) …
長沢城、三河被属御本意候間之儀、駿遠之人数一円ニ可被渡置之由申付而、御書申調進之候、誠々御神妙之至、不及是非候、雪斎其国事候条、諸事御談合尤候、猶期来音候、恐々謹言、 九月十六日 朝比奈左京亮 泰能 判 牧野田三郎殿 …
今度以忠信之儀、被出身血、無二可有御奉公之由御申、誠御勲功之至候、仍長沢之事、国一途之間者、駿遠御人数在城可被仰付由、是又別而御入魂御申、御祝着候、於静謐之上者、如先日御約諾可被渡置候、若又彼地始終御所望之儀候ハゝ、改替 …
広忠出置候給恩之事、右任彼定員数、無相違可令所務、弥如広忠時可抽奉公者也、仍如件、 天文十九年 十月十二日 よしもと 袖判 筧平三とのへ →愛知県史 資料編10「今川義元判物写」(譜諜余録) 広忠が拠出した給恩のこと。 …
就鵜津山縁辺之儀、八大夫方被差越候、因茲鵜津山江被成御奉書候、然者年内御祝言目出此事候、何様重御吉事可申入候、次長沢両人就御判形頂戴様躰承候、御状之趣、朝丹へ我等存分申、今日十四 御屋形被成御湯治候、被仰越候段者涯分可申 …