後北条氏、北条氏邦に権現堂城掟を下す
「御竪紙ニテ如左」 権現堂之城掟 一、何之番ニ候共、兼日定置着到之人衆、三日ニ一度ツゝ可被相改、若一騎一人も不足ニ付而者、可有披露、過失を可申付事、 一、当番ゝゝ之物頭、於其家中も、 大途御存之者を可申付、一騎合躰之者、 …
「御竪紙ニテ如左」 権現堂之城掟 一、何之番ニ候共、兼日定置着到之人衆、三日ニ一度ツゝ可被相改、若一騎一人も不足ニ付而者、可有披露、過失を可申付事、 一、当番ゝゝ之物頭、於其家中も、 大途御存之者を可申付、一騎合躰之者、 …
輝虎守筋目不致非分事 一関東江年ゝ成動、致静謐事も、上杉憲政東官領与奪、依之相動及其稼事、 一信州江成行事、第一小笠原・村上・高梨・須田・井上・嶋津、其外信国之諸士〓[穴+牛]道、又者輝虎分国西上州へ武田晴信成妨候、於河 …
重而預脚力候、御書面一ゝ披見申候、 一其表堅固之御備之由、自何肝要存候、 一御状則 御両人殿入御披見■■、御取込ニ而、御返事無之儀者不苦候、幾度 御両殿様へ、其口堅固之備并深沢表之模様御注進肝要候、幾度直書を以、可被御申 …
山田のをのゝゝ馳走、めをおどろかしつ。宗碩は此ついで尾張へこえ、長阿は北地の旅行やうゝゝ雪になるべくおどろかれて、此十六日におもひたちぬ。雲津川、阿野の津のあなた、当国牟楯のさかひにて、里のかよひもたえたるやうなり。あな …
(九月)廿五日[戊午]、晴陰、(中略)伝聞、去月○[大]地震之日、伊勢・参河・駿河・伊豆、大浪打寄、海辺二三十町之民屋悉溺水、数千人没命、其外牛馬類不知其数云々、前代未聞事也、 →愛知県史 資料編10「後法興院記」 9 …
1991年に刊行された、中公新書・高橋崇著の1冊である。今でこそ厳密な史料第一主義の新書も増えてきたが、当時としては異色なほど史料にこだわっていた。安倍氏と清原氏という東北在地勢力と、関東・東海の武士団を率いた源頼義・義 …
後北条氏、布施佐渡守に蒲原城番での部隊召集を指示する 北条氏邦、野上の足軽衆に出動を命ずる
本書(洋泉社新書y・盛本昌広著)は、戦国時代の合戦は具体的にどのように行なわれたか、を判りやすく解説した内容である。出陣の準備から行軍、食料や武器の調達方法、陣中生活の決まりから退陣方法までを網羅している。たとえばどこか …
別紙之書面披見候、仍沼田之儀在城之所、淵底存之前候、従此方も疾ニ雖可申届候、去夏以来在府大普請請取、其上上方之儀付而、無際限御用ニ取乱、依無手透、是非不申届候、其地之於仕置者、其方在城之儀候間、心易候、肝要之御城之儀ニ候 …
ミネルヴァ書房の日本人物評伝シリーズの1冊。武田氏研究で著名な笹本正治が担当している。本書は前書きで書かれているように、真摯な学術書というよりは著者の勝頼への思い入れ要素が強い。戦国武田氏というシステムの終焉に立ち会った …