北条氏政、縣因幡守に、下野国方面の戦況を伝える
四日注進状、今七日辰刻参着候、仍■■先書、敵榎本表張陣、於当方構之地■兼日堅固之備ニ申付候間、於後詰可有時節由、雖覚悟候、手遠之諸味方中、定苦労可有之由、令校量間、為始陸奥守、武州・下総両国之人衆悉今朝打立候、愚之事者、 …
四日注進状、今七日辰刻参着候、仍■■先書、敵榎本表張陣、於当方構之地■兼日堅固之備ニ申付候間、於後詰可有時節由、雖覚悟候、手遠之諸味方中、定苦労可有之由、令校量間、為始陸奥守、武州・下総両国之人衆悉今朝打立候、愚之事者、 …
[堅切紙]御在陣之儀ニ付、以御直札被申入候、委細当地御着之時分以面上可申達候条、早ゝ啓入候、恐ゝ謹言、 幸大 定治(花押) 十一月十三日 上筑 御陣所 →戦国遺文 後北条氏編2447「幸田定治書状」(館山市立博物館所 …
帰陣以来者無音之間、及一翰候、抑今度向信甲出張候処、■■在陣苦労之至候、仍樒柑■合進候、恐ゝ謹言、 十一月廿二日 氏直(花押) 一宮殿 →戦国遺文 後北条氏編2448「北条氏直書状」(大坪文書) 天正10年に比定。 …
[折紙]此度可致忠信由、しんみやうニ候、はたらきしだい、大くるみあいわたすに付而者、馬上之者に十貫つゝ、かちしゆニ者三貫つゝ、いといもり下く屋ぬます之内をもつて、ふちよすへしく候、いつれもあひたんち、きつそくちうしんもつ …
[切紙]去年十月廿八日、向倉内相動、於森下、敵一人討捕、高名無比類候、弥可抽戦功者也、仍如件、 未 二月十五日 (北条氏邦花押) 荒木主税助殿 →戦国遺文 後北条氏編2496「北条氏邦感状」(林厚一氏所蔵文書) 天正1 …
[竪切紙]急度令啓候、今般遠境御長陣、万端御苦労令察候、遠国就令在陣、疎意之様ニ存計候、仍徳川家康和親望之趣、頻而申候間、時儀落着、尽未来際可有入魂ニ相定候、然者今十二武州へ被納馬候条、三日之内令帰宅候、軈而可為御帰国候 …
[切紙]去月廿七沼田衆向津久田相動砌、及仕合押崩、敵二人討捕候、高名之至、神妙候、弥可走廻候也、 霜月十二日 (北条氏直花押) 狩野大学助とのヘ →戦国遺文 後北条氏編2443「北条氏直感状」(狩野勝次郎氏所蔵文書) …
[切紙]去月廿七沼田衆向津久田相動砌、及仕合押崩、敵一人討捕候、高名之至、神妙候、弥可走廻候也、 霜月十二日 (北条氏直花押) 須田弥七郎とのヘ →戦国遺文 後北条氏編2444「北条氏直感状」(須田文書) 天正10年に …
[切紙]去月廿七沼田衆向津久田相動砌、及仕合押崩、敵一人討捕候、高名之至、神妙候、弥可走廻候也、 霜月十二日 (北条氏直花押) 須田勘丞とのヘ →戦国遺文 後北条氏編2443「北条氏直感状」(須田文書) 天正10年に比 …
去秋当方江一味之由、及聞ニ付而、可及一翰雖覚悟候、二三ヶ年隠遁、閉口之間、乍存打過候、然珍札并馬一疋[河原毛]、鮭十尺、到来喜悦候、何様自是可申候条、不能具候、恐ゝ謹言、 十二月二日 氏政(花押) 長尾左衛門入道殿 → …