足利晴氏、太田豊後守が古河落城時に参陣し活躍したことを賞す
就古河落居、其砌早ゝ馳参走廻之条、忠信之至、感思召候、謹言、 霜月十三日 [古河公方晴氏御判也]在判 太田豊後守殿 →戦国遺文 古河公方編676「足利晴氏感状写」(感状写) 天文23年に比定。 古河落城について、その …
就古河落居、其砌早ゝ馳参走廻之条、忠信之至、感思召候、謹言、 霜月十三日 [古河公方晴氏御判也]在判 太田豊後守殿 →戦国遺文 古河公方編676「足利晴氏感状写」(感状写) 天文23年に比定。 古河落城について、その …
相守成長、存忠信之条、神妙候也、 十一月廿三日 (政氏花押) 栃木大炊助とのへ →戦国遺文 古河公方編484「足利政氏感状写」(新編会津風土記六) 成長を守り、忠信に思っているのは神妙です。
無二相守梅犬丸、致専公儀之忠節候者、可為神妙候也、 三月廿九日 (成氏花押) 島津隼人佐とのへ →戦国遺文 古河公方編224「足利成氏書状」(早稲田大学図書館所蔵下野島津文書) ひたすらに梅犬丸を守り、公儀の忠節を専 …
椙山之陣以来、相守憲房走廻之条、神妙之至候、謹言、 九月五日 足利高基ノ由 花押 毛呂土佐守殿 足利高基書状写(戦国遺文 古河公方編606「足利高基書状写」(山田吉令筆記所収家譜覚書)竹井英文氏『千葉史学51号』の釈文に …
彼書立之御人数十八人之分へ、為改替以新地如前々員数可出之筈、大肥与申合候上者、聊不可有相違、如此候也、仍如件、 三月十九 松蔵 家康(花押) 牟呂兵庫助殿 千賀与五兵衛殿 同衆中 →戦国遺文 今川氏編2032「松平家康 …
吉田城中取替兵粮之事 合参百俵者、 右、此内二百俵者、鵜殿休庵・大原弥左衛門、相残百俵者、隠岐越前守立合相調、城中入候間忠節至也、然者此返弁之番者、於望之地可申付者也、仍如件、 永禄八[乙丑]年 二月三日 牧野右馬之 …
去酉年四月十二日岡崎逆心刻、自彼地人数宇利・吉田江相移之処、同五月廿日父平左衛門与重時并近藤石見守両三人、於三州最前令忠節、其以後飯尾豊前逆心之砌、遠・三忩劇之処、牛久保・長篠籠城刻、長篠江数度兵粮入置之、牛久保江数多人 …
尚々其方うたかい申事、神分ゝゝ無御座候、 御状談拝見申候、仍此地へ御越可有候、談合可申候、其方覧よく御入候由、祝着にて候、御出待入申候、恐々謹言、 八月廿一日 家康御書判 小坂井より 蔵人 豊後殿 返事 →戦国遺 …
山室恭子著・講談社学術文庫。結論から言うと、 絶対的な名著なので、時間があるならこのサイトを見るよりこの本を買うべき! である。ぜひご購読を。 私事ながら、このところ本業がずっと多忙を極めており、書店に顔を …
[懸紙ウハ書]「牧野右馬允殿 氏真」 今度戸田主水助別心、松平蔵人相動、所々致取出之処、被官人稲垣平右衛門尉馳走之由、喜悦候、此時弥忠信肝要候、本意之上可加扶助候、此趣可申聞候也、謹言、 五月十七日 氏真(花押影) 牧 …