太原崇孚の香語内に今川義元敗死が記される
至于永禄三稔庚申四月、洪兄濫詐于礼部、々々決之、以拈鬮住持焉、霊鑑之所至乎、上坐看于臨在、洪兄住持本寺也、同五月十九日、礼部於尾之田楽窪、一戦而自吻矣、嗣太守上総介氏真公命上座司後因、号天澤寺殿、創墳寺於府之傍也、礼部始 …
至于永禄三稔庚申四月、洪兄濫詐于礼部、々々決之、以拈鬮住持焉、霊鑑之所至乎、上坐看于臨在、洪兄住持本寺也、同五月十九日、礼部於尾之田楽窪、一戦而自吻矣、嗣太守上総介氏真公命上座司後因、号天澤寺殿、創墳寺於府之傍也、礼部始 …
城中自始馳走感悦也、弥忠節奉公不可有由断由肝要候、然者同名将監跡職 被官給共、知行分宛行所不可有相違候也、仍如件、 三月廿三日 興津摂津守殿 →戦国遺文 今川氏編2244「北条某書状写」(国立公文書館所蔵諸家文書纂所 …
於其地昼夜其[共]走廻由候、誠御忠節候、弥被尽粉骨此時候、氏真御本意上者、御褒美儀、必可申立候、為其及一札候、恐ゝ謹言、 氏康(花押影) 興津摂津守殿 →戦国遺文 今川氏編2243「北条氏康書状写」(国立公文書館所蔵諸家 …
[懸紙ウハ書]「西郷監物殿 氏真」 就今度錯乱、各雖令逆心、自最前懸河ヘ相越、無二令奉公之儀、太以神妙也、於本意之上、可加相当之扶助、弥可抽忠功者也、仍如件、 永禄十一年 十二月廿八日 氏真(花押影) 西郷監物丞殿 → …
[端裏書]「原河讃岐入道殿」 今度忩劇之砌、捨財宝兄弟共ニ懸川ヘ相越走廻之儀、忠節之至也、於本意之上可加相当之扶助、弥可抽忠節者也、仍如件、 永禄十一年 十二月廿八日 氏真(花押影) 原河讃岐入道殿 →戦国遺文 今川氏 …
就今度駿府錯乱、懸河城江相移之処、西原善衛門尉有同心、捨身命馳走之段、無比類候、本意之上、此旨氏康へ可申立候、恐々謹言、 十二月十六日 氏真(花押) 西原源太殿 →戦国遺文 今川氏編2205「今川氏真書状」(西原文書) …
今度不慮之儀不及非是候、雖然、当城ヘ御移被成、御供衆■■衆数多被楯籠候、御兵粮其外てつ放・玉薬・御矢以下五三年之間不足有、為物主可打入之由候、御本意程有間敷候、就中、当城堅固ニ被拘由、毎度之御忠節候、畢境此時候条、可被尽 …
当城堅固候、殊其地被相踏之由、無二忠信此時に候、弥々可有本意候条、朝比奈備中守委細可申候、恐々謹言、 十二月廿一日 氏真 御在判 大澤殿 中安彦次郎殿 →戦国遺文 今川氏編2213「今川氏真書状写」(大沢文書) 永禄11 …
森田善明氏の著(歴史新書y) 。 端的に述べてしまうと、史料を読む機会の少ない読者には危険な内容である。一次史料を使ってかなり踏み込んだ解析を行なっているのだが、あくまで相対的な仮説に過ぎない。 史実・真相・真実と書かれ …
就両国之不和、今度御出馬之処ニ、早々出仕被申候、必進退相当之望可申上候、可相調候、猶帯金可申越候、恐々謹言、 十二月七日 信君(花押) 惣左街門殿 助兵衛尉殿 六郎左衛門尉殿 清三郎殿 兵衛門尉殿 →戦国遺文 今川氏編 …