北条氏政、吉野采女の忠節を褒め今川氏真に伝えることを約束する
今度代官堅固ニ相守、忠節之由承之、恩賞之儀、聊無相違可遣、氏真本意之上者、氏政可申立者也、 弘治三年八月十九日 氏政 富士郡山本村 吉野采女殿 →戦国遺文 後北条氏編・補遺「北条氏政判物写」(富士宮市・吉野文書) 今度 …
今度代官堅固ニ相守、忠節之由承之、恩賞之儀、聊無相違可遣、氏真本意之上者、氏政可申立者也、 弘治三年八月十九日 氏政 富士郡山本村 吉野采女殿 →戦国遺文 後北条氏編・補遺「北条氏政判物写」(富士宮市・吉野文書) 今度 …
今度無二可為一戦条、抛身命可被走廻候、於遂本意者、恩賞者、戦功次第可任望候、所無偽八幡大菩薩可有照覧者也、仍状如件、 元亀二年 辛未 正月七日 氏政御判 小倉内蔵助殿 →神奈川県史「北条氏政判物案写」(小倉文書) 今度 …
小倉内蔵助所持之馬鹿毛事、于今有之儀候哉、先々以来聞及候条、於差上者、尤可為満足候、猶量忠可申候也、穴賢、 永禄四年 十月十三日 御判 今川上総介殿 →静岡県史資料編7 「足利義輝御内書写」(小倉文書) 小倉内蔵助が持っ …
今度越国人数、向小田原相働之刻、為加勢申付候処、以一身之覚悟、武州河越令籠城、数度竭粉骨、殊於河窪口伏兵砌、抽諸勢、渡辺三蔵両人入馬、彼敵押立候、軽身命、被鑓手二ヶ所之段、太以所無比類也、其上於平方口、最前ニ敵之備へ馳入 …
為駿府御加勢、旧冬以来至当夏河越籠城、昼夜辛労、被尽粉骨候、殊更度々馳逢、軽身命被走廻候、氏真へ具可申披候、仍太刀一腰景光作、并河越庄内網代郷進之候、恐々謹言、 永禄四年 四月八日 氏政御判 氏康御判 小倉内蔵助殿 →神 …
河越籠城中尽粉骨走廻之旨、氏政感状所令披見也、弥可抽戦功之状如件、 永禄四年 四月廿二日 氏真(花押) 畑彦十郎殿 →神奈川県史 資料編3「今川氏真判物」 川越籠城で粉骨を尽くして奔走したこと、氏政の感状を見た。いよい …
今度河越籠城之内、尽粉骨被走廻之由、左衛門佐申越候、感悦候、此旨趣氏真へ具可申披候、仍如件、 永禄四年 卯月八日 氏政(花押) 畑彦十郎殿 →神奈川県史 資料編3「北条氏政判物」 今度川越に籠城し、粉骨を尽くして奔走し …
武州河越籠城之内走廻、特ニ去正月松山筋伏兵之砌、敵以多勢雖馳向候、旁ゝ尻持被成之故、無相違候、誠以神妙之至候、帰宅之上、氏政江取合可申、為証文、判形進置候者也、仍如件、 永禄四年 辛酉 壬三月廿七日 左衛門佐 氏尭(花押 …
岩付諸奉行、但今度之陣一廻之定 小旗奉行 中筑後守 立川藤左衛門尉 潮田内匠助 已上 右、何時も打立之貝立を傍尓ニ、小旗悉可相集、於押前物いわせす、いかにも入精可押、小旗敷定百廿余本可有之 …
峯上尾崎曲輪下小屋衆廿二人之内、二ヶ月分兵粮廿俵十二升、此内拾俵六升、只今出之候、残而十俵六升、来三月中旬ニ可出之候、当意致堪忍、可走廻候、猶致忠節ニ付而者、始末共ニ給恩重而可相定者也、仍如件、 二月廿七日 尾崎曲輪根小 …