正木時茂、上杉輝虎の関東侵攻を評価し将軍内意を問う
就敵久留里張陣、御越山之儀申入処、早速去月上旬被発進御旗、明間・岩下・沼田之城被攻落、為始北条孫次郎、宗者数百人被討捕、白井・惣社・蓑勾悃望之段風聞、目出度奉存候、時茂年来之願望此時候、然間、関東静謐不可移時日候、弥以被 …
就敵久留里張陣、御越山之儀申入処、早速去月上旬被発進御旗、明間・岩下・沼田之城被攻落、為始北条孫次郎、宗者数百人被討捕、白井・惣社・蓑勾悃望之段風聞、目出度奉存候、時茂年来之願望此時候、然間、関東静謐不可移時日候、弥以被 …
「定条々」 一、来十日陣夫を相集、早速可出馬候、弥支度可被申付事、 一、其方者温気之砌ニ候間、此度者出陣被相止、留守尤候、人数之仕分之様子者、着到之内百人足柄、廿人其方ニ付置、貮百人参陣、可為此分候、然者此仕分悉記交名、 …
「制札」 於相刕鶴岡八幡宮社内、当手軍勢甲乙人等、濫妨狼藉之事、 右、至于違犯之輩者、可被処罪科之状如件、 永禄四年辛酉 三月廿二日 資正(花押) →鎌倉市史 史料編「太田資正禁制」(鶴岡八幡宮文書) 制札(禁止条項) …
「謹奉納願書之事」 一 三年之間毎月可奉参詣事 一 万度可申事 今度駿・豆両国之取合、氏康如存可被為遂本意候、於其上者、右之二ヶ条、急度可奉果行者也、 天文乙巳十月十日 平氏康敬白 奉献 八幡大菩薩 御宝殿下 →鎌 …
(今川氏親花押) 「■制」 於鶴岡宮中、当手之軍勢甲乙人等、致濫妨狼藉之事、 右、有違犯之族者、速可処罪科者也、仍如件、 永正元年九月日 →鎌倉市史 史料編「今川氏親禁制」(鶴岡八幡宮文書) 禁制(禁止条項) …
「奉寄 鶴岡八幡宮」 相模国東大友半分 松田左衛門尉跡、 事 右、為当社領、所令寄附之状如件、 寛正三年十二月廿一日 左馬頭源朝臣(花押) →鎌倉市史 史料編「堀越御所 足利政知 寄進状」(鶴岡八幡宮文書) 鶴岡八幡宮へ …
就拙者手前不罷成、鎌倉屋敷上下共ニ、御好味与申、貴辺へ渡置申候、為此替兵粮卅三俵請取申候、彼屋敷為先御証文、永代遣之置候上者、不可有別条候、為後日、一筆遣之置候者也、仍如件、 天正十六年 戌子 霜月十五日 蔭山長門守(花 …
今度信玄出張之刻、野伏以下相集、抽走廻之由、諏方部主水助申上候、誠以感悦候、弥向後武具等相嗜、走廻ニ付者、可扶持者也、仍如件、 元亀ニ年 辛未 極月三日 氏邦(花押) 高岸対馬守殿 →戦国遺文 後北条氏編「北条氏邦感状」 …
今度自房州、越上州へ候使両三人搦捕候、先代未聞忠節候、定而重而可通候間、涯分可〓(身+忍)候、仍太刀一腰助包、遣之候、并為給恩貮十貫文、永可充行者也、仍如件、 六月十一日 氏康(花押) 匝嵯殿 →戦国遺文 後北条氏編「北 …
夫丸二疋二人召仕様事、 貮疋二人 一番 仁田 貮疋二人 二番 同所 貮疋二人 三番 同所 /壱疋一人 四番 /同所 \壱疋壱人 \奈古屋 壱疋一人 五番 /中条 壱疋一人 \山木 以上、貮疋貮人 …