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今川氏親室、徳願寺の知行である内谷村長慶寺方の増分について指示する

 義元袖判
たゝしうつたりちやうけいしかたむまのとしよりのそうふん、弐拾俵の事ハ、水のミの弥七郎に、わか身そんしやうの内ハ出し候、のちゝゝの事ハゐんはんのことく一ゑんにしよむあるへし、かしく、
[印文「帰」]天文十八年[つちのととり]十一月廿三日
 しゆけい
とくくわんしそうゑい長老

→戦国遺文 今川氏編918「寿桂尼朱印状写」(駿河志料巻七十五徳願寺文書)

 但し、内谷村長慶寺方は、午年よりの増分20俵のことは、水呑の弥七郎に、私が存命の間は渡しています。後々のことは印判のように一円に所務するように。

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