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武田晴信、高山大和守に、徳一色の落城と清水への移動を伝える

節々音問祝着候、如露先書候徳一色落居、元来堅固之地利ニ候之間、不及普請、本城三枝土佐守二三之曲輪、朝比奈駿河守・同名筑前守在城、去十五日清水之津江移陣築地利、岡部豊前守以下海賊衆差置、今日納馬候、佐久郡衆者其表之備ニ候之条、昨日帰国、先以可御心易候、抑八十日在滞、敵城五ケ所責落候之処、小田原衆一騎一人不萌、誠弱兵不可過狭量候、恐々謹言、
二月廿二日
 信玄(花押)
高山大和守殿

→戦国遺文 今川氏編2445「武田晴信書状」(群馬県・高山吉重氏所蔵文書)

永禄13年に比定。

 折々にご連絡をいただき祝着です。先の手紙でお書きしましたように、徳一色が陥落しました。元々堅固な地形だったので普請に及ばず、本城に三枝土佐守、2~3の曲輪に朝比奈駿河守・筑前守が在城しました。去る15日に清水の津へ陣を移して地利を築き、岡部豊前守以下の海賊衆に差し置き、今日馬を納めました。佐久郡の衆はその方面の防備をしていますから、昨日帰国しました。まずはご安心下さい。そもそも80日滞在し、敵の城5箇所を攻め落としたところ、小田原衆は1騎・1人も見えず、本当に弱兵で狭量であることはこれ以上ありません。

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