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弘中隆兼、清水寺・無量寺らに厳島での戦況を伝え後事を託す

為敵船後巻、数艘令渡海、敵城へ人数差籠成相候、此方警固数依無之、如此之儀、不及是非候、既水手迄堀崩事候、隆兼父子渡海之上者、可立御用事勿論候、然者息女梅〓[米+斤]人事、在之儀候条、当知行之儀者不及申候、御約束地無相違拝領之儀、申沙汰専一候、人躰事、是又可有分別候、能々城与可申合事干要候、吉事可申候、恐々謹言、
九月廿八日
 隆兼(花押)
清水寺
無量寺
弘中対馬守殿
諸卜軒
[切封墨引]
清水寺
無量寺
各中
 弘中三河守 隆兼

→豊前市史「弘中隆兼書状」(西郷文書)

1555(天文24)年に比定。

 敵船が援軍として数艘渡海してきて、敵の城へ兵員を籠もらせています。こちらの警固は数が不足しており、このようになりました。どうしようもありません。既に水の手まで掘り崩しています。隆兼父子が渡海した上は、御用に立つのは勿論のことです。ということで私の娘「梅」料人のこと、これもまた分別があるでしょう。よくよく城と協議することが肝要でしょう。吉報を申すでしょう。

コメント 1

  • […] 出だしからいきなり難物なのだが、「てきけひいて」をどう読むかが判らない。関連文書の為敵船後巻、数艘令渡海以下の部分から「敵の警固船」が関連しているのだろうという予想は立つのだが、類似の文が見つからず具体的にどのような漢字が当てられるのかを決められずにいる。豊前市史では「敵下ひいて」と示唆している。何れにせよ、「この方、敵の警固船がいて致し方ありません」という程度の意で良いと思う。 […]

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