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北条氏照、某に、武田晴信の駿河侵攻と今川氏没落を伝え、同盟を打診する

雖思慮不浅、馳愚札候、抑駿・甲・相更不離御間ニ候処、無意趣茂、以国競望之一理、今般自甲駿州へ乱入候、然ニ当方江之表向者、駿・越申合、信玄滅亡之企被取成候、此処慥承届之間、此度及手切之由、自甲被申越候、然則貴国へ内通故歟、今川殿御滅亡無是非候、如此之上者、無二当方御一味所仰、氏康父子心中雖不存知候、駿・甲両国如此成来候上者、何歟も不入候之条、愚存申達候、願ハ御同意、可被散累年之御鬱憤事、此節ニ候、恐々謹言、

十二月十九日

平氏照(花押)

[奥部切断]

→戦国遺文 今川氏編2208「北条氏照書状」(志賀槇太郎氏所蔵文書)

永禄11年に比定。

 考えなしという訳ではありませんが、愚かな手紙を送ります。そもそも、駿河・甲斐・相模はさらに離れることのないご関係だったところ、特別な理由もなく、国を奪いたいという理由で今般甲斐より駿河へ乱入しました。そして、こちらへの表向きとしては「駿河が越後と申し合わせ、信玄滅亡の企てを取り成されました。ここに確かに聞き届けたため、この度の手切れに及んだ」とのことを甲斐より通達してきました。そうならば貴国へ内通したためでしょうか。今川殿のご滅亡は是非もないことです。このようになった上は、とにかくこちらへお味方するとの仰せになるところ、氏康父子の心中は知りがたいとはいえ、駿河・甲斐の両国がこのようになった上は、何かが割って入ることもないでしょうから、私の一存で申し上げます。願わくばご同意を。累年の鬱憤をお晴らしになられるのはこの時です。

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