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上杉顕定、矢野憲信に、駿河国御厨在陣を労いつつ出動を要請する

永々在陣故、自駿州御厨帰宅、先以非無理候、既追日彼陣無勢之上者、以夜継日打越候者、可為感悦候、遅々不可宥曲候、謹言、

四月三日

顕定

矢野安芸守殿

→駿河台大学論叢第40号32「矢野安芸守宛書状写」(紀伊国古文書藩中古文書十二)
1504(永正元)年との注記があるものの、『吉川弘文館版戦国人名辞典』では、1498(明応7)年頃出家して「永盛」と名乗ったとの記載あり。「西郡一変」と言われた1496(明応5)年の状況と関連するか。

長期間の在陣のため、駿河国御厨より帰宅は、まずは無理もないことです。すでに日を追ってあの陣の兵力がなくなっている上は、夜に日を継いで出動することで、感悦と思うでしょう。遅れがあっては詰まりません。

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