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今川氏真、鵜殿休庵に、戦死した藤太郎の追悼を伝える

其春同名藤太郎討死、無二忠節感悦不少候、後城退散之刻、同名以下雖属敵、引連親類、不相替馳走尤神妙候、殊更天沢寺三州入国已来、東西走廻入魂喜悦候、本意之上、先約之地聊不可有相違候、猶随波斎可被申候、恐々謹言、

九月十三日

 氏真御判

鵜殿休庵

→戦国遺文 今川氏編1864「今川氏真書状写」(湖西市鷲津・本興寺文書)

永禄5年に比定。

 その春の同姓藤太郎が討ち死にしたことは、無二の忠節だと感悦少なからぬところです。後に城を退散する時に、同属が敵に属したのに、親類を引き連れて相変わらず奔走してくれているのは神妙です。特に義元が三河国に入国されて以来、東西に駆け回り親しくしてくれたことを嬉しく思います。本意の上は、先に約束した土地にいささかの相違もないでしょう。さらに随波斎が申し上げます。

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