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後北条氏、一宮新太郎の着到を定める

着到之事

弐本 小旗持 三挺鉄炮放 何も指物可持

三張 射手 何も指物可持うつほ可付 壱本 手鑓

壱騎 自身 三騎 何も指物可指

八本 長柄

 以上弐拾壱人

右、自今以後大方如此可有勤仕候、自前ゝ之筋目ニ候間小幡可為馬寄候条、万事備之上之儀、如彼作意尤候、雖然万一横合非分之扱有之者、一往小幡ニ被相断、猶無承引者可有披露候、分明ニ可遂裁許候、若小幡私曲至于歴然者、於旗本可被走廻、猶以武辺一ヶ条ニ極候間、無二相嗜、至于粉骨者、何分ニも引立候、仍定所如件、

天正十一年[癸未](虎朱印)三月五日

  「信玄」(異筆)

一宮新太郎殿

→戦国遺文 後北条氏編「北条家着到書出」(堤芳正氏所蔵貫前神社文書)

 着到のこと。2本、小旗持ち。3挺、鉄砲放ち。何れも指物を持つこと。3張、射手。何れも指物を持ち空穂を付けるように。1本、手槍。1騎、自身。3騎、何れも指物を指すように。8本、長柄槍。以上21人。右は、今より以降大体このように勤めるべきものです。前々よりの筋目から小幡に馬を寄せるのがよいでしょうから、軍役全般は彼がいうようにするのがもっともです。そうはいっても万が一理不尽な扱いを受けたならば、一応は小幡に相談し、それでも駄目なら上程するように。きちんと裁許されるでしょう。もし小幡のわがままである事がはっきりしたなら、旗本として活躍してもらいます。なお、武辺が全ての鍵になりますから、脇目も振らず鍛錬なさり、目覚しい活躍をするならば、どのようにもお引き立てになるでしょう。

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