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北条氏政、原胤栄に、自身が甲斐国に侵攻する予定を伝え増援を要請する

去七日甲州至于■■子、氏直打詰候、敵新府之要害をかた取、切所当前打向候間、当日無一戦候、定而被立越人数可有直覧候条、不能具候、 一、此度者当家之是非迄候、於彼表無勝利者、滅亡之外有間敷候、過塩味間敷候、 一、当日ニ可戦無之間、可為対陳歟与勘弁候条、分国中為男者をかり集、五七日之内遂出馬、甲州へ可打入候、只今之陣庭与甲府之間卅里之内候、よりのかぬ対陣ニ候者、氏政出馬物裏之行を以、敵敗北更無疑候、 一、数代之因此時候、自身用捨ニ候者、調次第人数、氏政手本へも可被立越候、大手へも纔之出勢之由候、畢境奇麗武具も入間敷候、調次第待入候、但中村作倉衆を同道申可来候間、彼御人数与一同尤候、若此時如例式大方ニ於御取成者無申候、過去未来可被遂勘弁事専一候、恐ゝ謹言、

八月十七日

 氏政(花押)

原式部大夫殿

→戦国遺文 後北条氏編2395「北条氏政書状」(佐野正司氏所蔵文書)

天正10年に比定。

 去る7日に甲斐国の若神子に至り、氏直が行き詰りました。敵は新府の要害を拠点にして有利な地形で対峙しているので、この日も戦闘はありませんでした。きっと派遣した部隊からの報告をご覧になっていると思いますので、詳しくは申しません。一、この度は当家の存亡がかかっています。あの方面で勝利できなければ、滅亡するほかないでしょう。余り考え込まないように。一、この日戦闘がなかったので対陣するよりないかと鑑みて、分国から男子全てを駆り集め、数日の内に出馬します。甲斐国へ侵攻すれば、現在の陣地と甲府は30里以内で互いに退けぬ睨み合いですから、氏政の出馬が背面からの挟撃となって、敵の敗北は更に疑うまでもありません。一、数代にわたる恩顧を返すのはこの時です。ご自身で徴発して員数が揃ったら、氏政の手元にお送り下さい。大手にも少しは派遣して下さい。最終的には美しい武具など要りません。揃い次第お待ちしています。但し、中村・佐倉衆を同行させるならば、部隊は1つにまとめておくのがもっともです。もし「いつものように大方へ取り成し」などと考えているなら申さぬことです。過去・未来にわたって熟考することが専一です。

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