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後北条氏、関・網代・台宿の町人に、船橋三王山南の堀掘削を命じる

舟橋三王山南之構之小ほり半分ツゝ、両宿より可致之候、模様者、近藤治部左衛門・太田美作守如作意可致之者也、仍如件、

天正五[丁丑]年

[朱印]壬七月朔日

関宿 綱代宿・臺宿町人衆中

→戦国遺文 後北条氏編 1925「北条家朱印状写」(下総旧事三)

 舟橋三王山南の構えの小堀を半分ずつ、両宿で作業して下さい。段取りは近藤治部左衛門、太田美作守の意図のように行なうこと。

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