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北条氏政、清水康英に、伊豆防備を指示し上野国の状況を知らせる

一、先河越・松山之立馬候、別ニ仕置とても有間敷候、沼田普請人数可遣、又厩橋此一二ケ城可申付、其外東表似合ゝゝ普請仕置等可申付候、此外指当用無之間、軈而可明隙候事、

一、豆州にて雑説申廻儀、竪可被申付、当時努自甲抜手致得間敷候、去又態工而、豆州境之者ニさわか候事をハ、必ゝ可申廻候、専者韮山一ケ城堅固之備無油断候へハ、其外不入事候、畢境惑説申廻事、堅可被制候、いかにも静ニ境目可被申付事、 一、此度者、仕置一理、其上上田庄喜多条打明、凶事之砌、無所詮候条、氏直をハ不同心候、当城ニ為立馬申候、為心得申遣候、我ゝ計立候て、身かろくあなたこなたかけ廻可申付候、返ゝ雑説申廻事、諸人可被停止候、去又右ニ如申候、韮山番之事をハ、いかにも手堅可被申付候、恐ゝ謹言、

二月廿四日

氏政(花押)

清水入道殿

→戦国遺文 後北条氏編 2055「北条氏政書状」(宮崎求馬氏所蔵文書)

天正7年に比定。

一、まず川越・松山の馬を立てました。別の処置はないでしょう。沼田の普請は人員を送るでしょう。また、厩橋にこの1~2城を申し付けるでしょう。その他、東部方面は適切な普請・処置などを申し付けるでしょう。このほかにさしたる用事はないので、すぐに手が空くでしょう。

 一、伊豆国にて雑説が流布している件、必ず指示なさって下さい。この時に、間違っても甲斐国より引き抜きなどされないように。さてまた、念入りに細工して、伊豆国堺の者たちが騒ぐようなことを、必ずや流布させるでしょう。韮山1城だけを専ら堅固に防備して油断しなければ、その他は不要です。最終的に不穏な噂が流布されることは堅く制止するように。静かに国境で指示すること。 一、この度は、処置一理で、その上、上田庄で喜多条(景広?)が打ち明け(退却?)、凶事の際に、所詮がなかったので氏直は同心(同行)させませんでした。この城に馬を立てるよう伝え、心得を連絡しました。我々ばかりが立ちまして、身を軽くしてあちらこちらを駆け巡って申し付けるでしょう。返す返すも、雑説の流布は諸人に止めさせますように。さてまた、右に申したように、韮山城番のことは、とても手堅く指図なさいますように。

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