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史料の根本的な成立を考える

『記憶の歴史学』(金子拓著・講談社メチエ選書)を半ばで止め『戦国北条五代』に切り替えていたが、再び読み進めている。

これはかなり挑戦的な内容だ。文献史学では、普通一次史料を疑わない。しかし、現代でもよくある事だが、記憶と記録には乖離がある。それは私も常々感じていた。氏真の文書が鳴海原合戦について『信長公記』よりも早く書かれ信憑性も高いのだとしても、厳密に言えばそれは程度の差でしかない。氏真にしても太田牛ーにしても、限られた情報の中でそれぞれの都合に添って記録した筈である。あらゆる史料には誤解と作為が含まれ、出来事を正確に再現はできない。
史料と史料を繋いで立体的解釈を試みるのが歴史学だから、史料の可謬性を言い出したら成立しない。その禁断の領域に踏み込んだ点は素晴らしい。
まだ読了していないが、丁寧に読み進めたい。

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