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北条氏政、浦野中務丞に、上杉氏の来攻につき、忠節を促し人質を上野倉賀野に入れさせる

越国衆出張之由候、此度抽忠信肝要候、然者、為証人、実子倉賀野へ可被越候、恐々謹言、

九月十五日

氏政(花押)

浦野中務丞殿

→小田原市史 史料編 中世2 小田原北条1「北条氏政書状写」(新編会津風土記六)

1560(永禄3)年に比定。

 越後衆が侵攻して来たとのことです。この度は忠信にぬきんでることが大切です。ということで証人として実子を倉賀野へ送って下さい。

コメント 1

  • […] 長尾景虎が上野国に駐屯を始めた永禄3年9月、北条氏政が浦野氏に人質提出を求めた書状がある。浦野氏も関東幕注文に名前があるから、横瀬・足利両氏も同様に氏政から人質提出を求められていた可能性が高い。しかし、上野国衆が実際に人質を出したかは微妙だ。大戸の浦野氏は近隣の倉賀野に人質を出すよう依頼されている。来襲直前になって「実子を倉賀野へ」と依頼しているのだから、それ以前には人質をとれていないということだ。さらに、「川越へ」とすら言えていない。利根川以南へ出せという高圧的な言辞は使えなかったのだろう。 […]

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