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羽柴秀吉、村上元吉に備中戦況を伝えつつ内密の指示を伝えようとする

 尚以、被対公儀可有御忠節之由、被相定候上者、私之意趣不入事候、其方次第警固船等之儀可申付候、先度被相越候使者、此方へ可給候、内証之儀可申入候、以上、

其方御覚悟、此比相違之儀、御同彦次郎被申越付而承届候、内証之趣、国分寺具被相達候、尤無余儀候、兎角御忠節之事者、両島格別ニ可在之候条、私之意趣更不入儀候間、最前之通、於此方聊不可有相違有候、国分寺如被披見及候、此表敵城之中へわり入、かわやか城・すくも塚両城取巻、其上小早川幸山候得共、毎日此方足軽申付、十町・十五町之内迄雖令放火候、一人も不罷出候条、落居不程有候、委細国分寺可被申入候、恐々謹言、

羽柴

  秀吉 御判

卯月十九日

村上掃部頭殿

      御宿所

→証言 本能寺の変「羽柴秀吉書状写」(『萩藩門閥録』二二)

 あなたの覚悟にこの頃相違がある点。ご同姓彦次郎の連絡について、了解しました。機密であること、国分寺が詳しく言ってきました。ごもっともで仕方のないことです。とにかく忠節は両島で格別に思っていますので、私見が入ることはありません。従来通り、こちらでも相違があってはならないでしょう。国分寺は、披見されたように、この方面の敵城の中へ攻め込み、かわやか城・すくも塚の2城を攻囲。その上小早川が幸山にいても、毎日こちらで足軽を指示して、10~15町の内部にまで放火させました。1人も出撃して来ませんでしたから、落城も程なくです。詳しくは国分寺が申し入れるでしょう。

追:さらに、公儀に対してご忠節なされるそうで、定まった上は私見が入りません。あなた次第で警固船などのことを指示するでしょう。先に派遣された使者をこちらへお寄越し下さい。機密事項を申し入れます。

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