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旧暦6月12日

 7月15日(旧暦6月12日)に、氏真が鵜殿十郎三郎に感状を発行している。
 その内容は「去年十一月十九日、去五月十九日於尾州大高口、両度合戦之時」となっていて、前年11月のことと併せて、5月大高口での戦功を賞している。ここに義元が登場しないことから、大高口での合戦が義元敗死と関連していないことが判る。関連するのであれば、松井宗信・平野輝以・尾上彦太郎らのように「天沢寺殿御討死之刻」という表記が入る筈だ。
 ここに至ってようやく、大高関係の感状が出てくるようになったのだろう。具体的にいうと、義元隊(恐らく本隊)を構成していた人員の安否確認、鳴海城からの駐屯部隊撤退確認がとれたので、大高方面部隊(支隊?)への論功行賞が始まったと推測できる。

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