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旧暦5月25日

 今日6月28日は、旧暦5月25日に当たる。この日は氏真が天野景泰に宛てて、緊急事態を告げている(今川氏真書状)。
 天野景泰はどこかの城を守備していたようで、堅固に守ったことを賞されているから、臨戦体制にあったのではないか。彼は岩小屋城番を勤めた経緯があるので、奥三河の前線基地武節(豊田市武節町)ではないかと思う。どちらにせよ鳴海原からは直線距離で50キロメートル以上あるので、天野景泰が鳴海原合戦に直接の影響を与えたことはないと判断できる。
 すぐに出馬することを告げつつ、詳しくは三浦正俊が報告すると書いている。22日付けの松井山城守宛と同じ段取りなのだろう。
 合戦後6日の時点では、氏真は事態収拾のため三河国に出馬する予定だった。実際に三河まで行ったかは別途検証が必要だろうが、義元敗死後すぐの氏真政権は三河への軍事進出を重視していた点は改めて考慮すべきだと思う。

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