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近衛前嗣、上杉輝虎の戦功と改姓を称える

(切紙)

芳札祝着候、まつゝゝ相州之儀、数年つゝかなきところに、馬をよせられ、剰小田原之地ことゝゝく放火のよし、前代未聞、申へきやうもこれなき名誉まてにて候、然者、馬をたてられ、此刻あいはたさるへきよし候へとも、各断而異見申につき、まつ帰陣のよし、尤にそんし候、去年已来長陣の事にて候へハ、国をゝさめ、たミをたすけらるゝ分別、文武二道とはゝかりなから存候、将又名のり氏あらためられ候て可然よし、諸人申につき、しん酌なからとうしんのよし、近比ゝゝ珍重候、さらにしん酌あるへき事にて候ハす候、ことに去ゝ年在京之折ふし、知恩寺をもつて進之候つる大樹御自筆之文、我等ニたいせられ候文言ニ候うへ、まして関東八州之職之事、公儀成下候時者、如何としてとかく巨難あるへき事候哉、たといその儀なく候とも、りうんにて候、しかれハつるかをかの若宮へ社参のよし、いよゝゝ武運長久のもといと、千秋万聲目出度候、つきニ、かいちんの事、とくうけ給候ハゝ、せめて一日路もむかひに可参候へ共、にわかニうけ給候まゝ、中途までまいり候、猶御けんさんの時、くハしく可申候、返ゝ今度之義、条ゝひるいなく候、京都いらいの首尾、ことゝゝくあひ候て、きとくまてにて候、うちやすにてもたまらさる事、無是非候、ことニはたもとしつはらい候へ共、その心さしもなきよし、さやうあるへく候、猶知恩寺可有演説候、返ゝゝ、氏あらためられ候事、珍重候、殊ニ藤氏の事に候へハ、我等まて大慶候、かしく、

(切封墨引)

上杉殿

 前嗣

→神奈川県史 資料編3「近衛前嗣書状」(上杉文書)

 お手紙祝着です。まずまず、相模国のことは、数年平穏だった土地に攻め入り、あまつさえ小田原の地をことごとく放火されたとのこと。前代未聞で、言葉にならない名誉です。ということで、馬を立てられて、この際決着を付けるべきだとなりましたが、それぞれが強く意見を言ったので、まずは帰陣とのこと。ごもっともに思います。去年以来の長陣のことですから、国を治めて民を助けられる分別は文武両道と、憚りながら思います。そしてまた、名乗りと氏を改められてはと諸人が言うので、遠慮しながらお受けになったとのこと、近頃では珍しく貴重なことです。遠慮なさるようなことではありません。特に一昨年在京の折に、知恩寺をもって進呈した将軍ご自筆の書状、私に対しての文言である上に、ましてや関東八州の職のことを公儀が指示したのですから、どうして巨難がありましょうか。たとえそうでなくとも、理運ということです。ということで鶴岡の若宮へ参拝とのこと、いよいよ武運長久の元で、千秋万歳おめでとうございます。次に、開陣のこと。早くに伺っていれば、せめて1日分でもそちらに迎えに行きましたが、急にお聞きしたので、中途まで参ります。さらにご見参の時に詳しく申しましょう。返す返すもこの度のこと、一つ一つが比類のないことです。京都以来の首尾が悉く合致して、奇跡のようです。氏康にしても堪らないだろうことは是非もありません。特に旗本に殿軍を命じても、その志もないとのことで、そのようになるものでしょう。さらに知恩寺が申します。返す返すも、氏を改められたことは、珍しく貴重なことです。殊に藤氏のことですから、私も大慶に思います。

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