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茅ヶ崎城訪問 遺構保存方法の一例

東郭土橋から北方を望む
東郭土橋から北方を望む

 2006年から工事によって足止めされていたが、ようやく隙を見つけて訪れてみた。この城は横浜市営地下鉄のセンター南駅から徒歩で10分、しかも公園化されて見晴らしもよいという、まとまった時間がとれない人間にはありがたい城跡である。

メインエントランス
メインエントランス

 主要な曲輪は4つ。北郭は公園の入り口として位置づけられている。水洗トイレと水のみ場があって、南面する土塁がなければ「ニュータウンにあるごくごく普通の公園」。
15.2:350:263:0:0:chigasak_02:center:1:1:縄張り図:0:
 公園化されて縄張りがとても把握しやすくなっており、土の城を満喫できた。とはいえ夏に行ったら遺構を見渡すのは若干厳しいか。
24.3:350:263:0:0:chigasak_03:center:1:1:東郭土橋より北郭を望む。左は中郭土塁:0:
 規模からいうと深大寺城よりやや大きい程度か。江戸から早渕川を渡河して小机に抜ける街道が城の主軸なのかと推測した。空堀道の北辺にある虎口から入り、中郭と西郭に挟まれた空堀道を上った後で土塁に突き当たって東進、中郭の土塁北側を迂回し、今度は東郭に睨まれつつ南へ抜けていくプラン。
26.8:350:263:0:0:chiagasak_04:center:1:1:サブエントランスからの虎口。中郭と西郭間の空堀道へ:0:
 史料上は持ち主がはっきりしない城だが、扇谷系という見方が優勢らしい。その場合、江戸から見て早渕川の橋頭堡を守る位置づけになる。後北条氏が利用していたとすると、江戸・小机の中継拠点で、どちらかというと物資の集散拠点的な位置づけだったのではないかと推測してみた。
24.8:263:350:0:0:chigasak_05:center:1:1:東郭から南郭下虎口を見下ろす。奥の左手は中郭土塁:0:
 空堀を埋めて整備はしているものの、土塁に関しては若干崩落の不安が感じられた。特に東郭突端部分は何らかの工事が必要かと思われる(立ち入り禁止状態)。ここは整備が入る前の私有地だった頃より不安定な地形だった。
23.5:350:263:0:0:chigasak_06:center:1:1:東郭北の腰郭から私有地を見下ろす。ここも遺構の範囲内の模様:0:
 特筆すべきは東郭北面にある排水システムで、側溝に集めた雨水を樋で落とし、腰郭にある砂利面に落としている。恐らくこの砂利の下には排水溝があるものと思われる。東郭は比高が高い割りに小さくて孤立しているので、豪雨時の対応としてこの装置を置いたのだろう。
26.2:263:350:0:0:chigasak_07:center:1:1:東郭北面側溝。この先に樋あり:0:

28:350:263:0:0:chigasak_08:center:1:1:郭上から見下ろした樋と砂利面:0:

25.8:263:350:0:0:chigasak_09:center:1:1:下から見た雨樋装置:0:

 条件としてほぼ近い小机城と比較しても、よく整備されていると感じた。空堀が埋め戻されている分だけ迫力は減じているものの、夏でも遺構が楽しめるのは大きなメリットだろう。

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