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織田寛親、土肥次郎を通じて上杉顕定に遠江国紛争への助力を依頼

就遠州之儀、従屋形管領へ依懇望被申子細候、去春以来当国致滞留候、就其自屋形以書状被申入候、尤可致持参候之処、西口調儀火急ニ付而、顕定得御意、早々可罷立之由、被申付之間、乍存候、右趣者、遠州之儀無故駿州今川方競望候、雖被存無念至極候、被官人依不慮之取合、被打置候キ、尾・三両国属無為候、信州之儀一味之間、当秋必可有入国候、関東御事御一和之上者、此時御本国豆州之事者不被及申候、為御合力向駿州御調儀奉談之由、被申候処、可然御返事ニ候条、至之時、寛親面目之至候而、罷上候、然者以書状被申筋目、御味方中被仰合、別而御入魂本望ニ可被存候、委曲同名左衛門方へ申之間、定而伝達可被申候、御返事被懸御意候者、所仰候、恐々謹言、

六月十六日

上野介寛親(花押)

謹上 土肥次郎殿

→戦国遺文 今川氏編「寛親書状」(古文書簒一)

1501(文亀元)年に比定。

 遠江国のこと。屋形より管領へ懇望があったので詳細を申します。去る春以来当国に滞留していました。その件は屋形より書状により申し入れられ、持参するのがもっともではありますが、西方面の調整が火急だとして、上杉顕定への確認が得られたら早々に出発せよと申し付けられています。とはいえ、右の趣旨は、駿河国今川方が理由もなく遠江国に介入しているという内容です。ご存知でしょうが無念の極みです。被官人の思いがけない取り合いにより、放置されていましたが、尾張国と三河国が和睦し、信濃国が一味となったので、この秋は必ずご入国があるでしょう。関東のことが和平となった上は、ご本国と伊豆国は言うまでもなく、援軍として駿河国の調整を発議しようと申されたとのこと。しかるべくお返事いただけたことで、寛親は名誉の至りとして(尾張に)上ります。ということで、書状によって申された筋目をお味方中に通達され、格別にご昵懇にしていただくのは本望であるとのことです。詳しくは同姓左衛門方へ申しましたので、きっとお伝え下さるでしょう。お返事を気にかけておられると仰せです。

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