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尾張国水野為則、下野守任官の礼として三条西実隆を尋ねる

四日、庚午、入夜小雨、(中略)

尾州水野右衛門大夫任下野守云々、称礼来携太刀、大隅引導也、対面了、

(後略)

五日、辛未、晴、早朝遣太刀於水野許了、(中略)水野送一荷鯉等、不慮芳志也、(後略)

→愛知県史 資料編10「1508(永正5)年部分」(実隆公記)

 4日(庚午)夜に入って小雨。尾張国水野右衛門大夫が下野守に任じられたということで、礼と称して太刀を携えて来た。大隅が案内して対面した。
 5日(辛未)晴れ。早朝に水野の元に太刀を送った。(中略)水野が1荷の鯉などを送ってきた。思いがけぬ芳志である。

コメント 6

  • 水野氏史研究会では拙コメントにレスを頂きありがとうございました。高村様のサイトではおおいに勉強させていただいております。この文書は私も調べたことがあり、関心をもっております。水野が太刀を携え、翌日に実隆が太刀を贈るという行為にどんな意味があるのかに首を傾げております。貴人との会見に武器は持ち込まないというしきたりによるのであれば、わざわざ日記に書く必要もないと思うのです。類例として、本願寺証如の天文日記、天文十二年五月十七日条にも、織田信秀の家老である平手中務と証如の会見の最中に、太刀のやり取りの記事がありました。もし、ご存知よりのことがあればご教示いただけましたら幸いです。

  • 横合いから失礼します。いつも水野氏史研究会にコメントをいただき、ありがとうございます。 巴々佐奈さん>これは、蒔絵、螺鈿などを施した儀仗太刀のことで、武家同士の贈答品として、太刀を贈ったり、また太刀のお返しをしたりしたのではないかと思われます。またご存じのように太刀は、社寺奉納や左文字の刀などのように恩賞品としても用いられたようです。

  • 水野青鷺様、いつもお世話になっております。贈答品としての儀仗太刀ですか。勉強になります。水野右衛門大夫が三条西実隆に送った太刀については私も仰せの通りだと思います。では、翌朝実隆が水野に与えた太刀もそうだったのでしょうか。現代のお中元やお歳暮のマナーからすると、太刀に太刀を返すことが礼にかなってるとも考えにくいのです。
    あるいは、落語の『はてなの茶碗』のように、箱書きに貴人の筆跡を据えて価値を高めるというのならありそうにも思えるのですが、このケースにあてはまるものなのでしょうか。このあたりに大いに興味をそそられている次第です。

  •  巴々佐奈さん、水野さん、コメントありがとうございます。太刀の贈答についてお答えします。
     贈答品に太刀を用いるのは比較的よく見られる案件で、当サイトでも「太刀」で検索していただくと贈答例が10件出てきます(うち感状系が4件)。公家では山科言継が『今川那古屋殿』に贈っていますし、義元は伊勢外宮に進上しています。その他は感状で下賜された例もあり、こちらは刀匠名は記載されていることから、装飾品ではないようです。
     私見ではありますが、太刀は贈答品として最上位に来るものかも知れません。食料や金銭のように消費するものではなく、メンテナンスも必要です。贈られる側にある程度の経済力と素養が求められる品物ということで、ステータスは高そうです。ちなみに、北条氏政が感状で「仍刀一秋広、久所持之間、 進之候状如件」と書いている例もあり、身に着けていた大事な物を贈るというニュアンスも感じられます。
     太刀の応酬があった記述が残されているのは、日記が備忘録として機能していたためかも知れません。贈答品目は『家忠日記』にもあり、貰った物と贈った物のバランスは家記の根幹機能だったと推測できます。

  • 高村様。丁寧なご解説ありがとうございました。確かに太刀を贈答品として捉えるならば、日記に記録することは肯けます。一口に太刀と言っても様々な種類があるとは思います。水野為則が持ち込んだ太刀を受け取って、翌日に答礼の太刀(おそらくは相応のもの)を用意できるということは、三条西実隆には太刀のコレクションを持っていたのかもしれませんね。もしくは、日記に書かれない部分で下交渉があったかもしれないと思うと色々想像は膨らみます。本当に勉強になりました。またよろしくお願いいたします。

  •  お礼のコメントありがとうございます。またお気づきの点などありましたらお気軽にお寄せ下さい(このサイトを始めてから古文書に取り組んだものですから、色々と調べなければならない点も多々ありますので)。
     今更蛇足ですが、『東山時代に於ける一縉紳の生活』(講談社学術文庫)に三条西実隆日記の記述がありました。荘園の代官である富田某が1489(延徳元)年に上洛した際に、「柳二荷、雁、干鯛、黒塩三十桶、太刀一腰助包持参」で挨拶に来たので、実隆は返礼として足利義尚から拝領した太刀一腰を遣わしたそうです。今回と似たケースになるかも知れません。

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