今度一乱、於当構并方上城・葉梨城、別而抽粉骨畢、甚神妙至感悦也、然間、一所有東(有度郡)福島彦太郎分、一所小柳津真金名斉藤四郎衛門分、一所勝田内柿谷篠原形部少輔分等之事、一円於子孫充行畢者、弥可抽忠功之状如件、
天文五丙申年十一月三日
義元(花押)
岡部左京進殿
→静岡県史 資料編7「今川義元判物写」(土佐国蠧簡集残編三)
この度の一乱で、こちらの拠点と方上城・葉梨城で格別の活躍をしてくれた。大変な神妙の至りで感悦した。であるので、有度郡の福島彦太郎分を一所、小柳津真金名の斉藤四郎衛門分を一所、勝田内柿谷の篠原刑部少輔分など、一円を子孫まで宛行なうものである。いよいよ忠功にぬきんでるように。