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北条氏康、山角四郎左衛門と伊東九郎三郎に西浦重洲の百姓還住を指示

西浦重洲百姓闕落書立

五左衛門  長岡ニ有之

助右衛門  田中ニ有之

藤三郎   東浦小山ニ有之

左衛門三郎 伊東ニ有之

左衛門九郎 四日町ニ有之

左衛門二郎 伊東ニ有之

與九郎   西郡柏山ニ有之

善九郎   長岡ニ有之

 以上八人

右、闕落之百姓、為国法間、彼在所領主・代官ニ相断、早ゝ可召帰、若兎角申者有之者、註交名重而可申上者也、仍如件、

丙寅

壬八月六日

(武栄朱印)

幸田與三 奉

山角四郎左衛門殿

伊東九郎三郎殿

→戦国遺文 後北条氏編 「北条氏康朱印状」(土屋氏所蔵文書)

1566(永禄9)年に比定。

 西浦の重洲にて逃亡した百姓の一覧。

五左衛門  長岡にいる

助右衛門  田中にいる

藤三郎   東浦の小山にいる

左衛門三郎 伊東にいる

左衛門九郎 四日町にいる

左衛門二郎 伊東にいる

與九郎   相模国西郡の柏山にいる

善九郎   長岡にいる

 以上8名。右は逃亡した百姓である。国法によって取り締まるため、彼らがいる場所の領主・代官に連絡して早々に還住させるように。色々と申し立てる者がいるならば、名前を記載して再度提出すること。

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