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北条氏邦、東根小屋衆に軍規徹底を指示

一、昨日十一従兵被 仰付候東根小屋之者共、致一同岡谷隼人如下知、一備ニ有之可走廻、すこしなりとも岡谷はやと下知そむくニ付而者、くセことたるへく候、岡谷無用と申ニ付而者、取くひなりとも打捨、備まかりあるへき事、

一、かまりありて事も岡谷下知之ことく、備をあけへく候、

一、いつれのものなりとも、そなへはにをゐて、かりそめの事なり共、致雑談ましく候、はやと一人斗物を可申付事、

    以上、

拾三ヶ条、すこしなり共そむくニ付而ハ、なにせうしんも入ましく候、くせことなるへき者也、仍如件、

  朱印在

五月十日

岡谷隼人殿

東根小屋衆中

猪俣代

→戦国遺文 後北条氏編「北条氏邦朱印状写」(北条氏文書写)

 一、昨日11名の兵を従えて東根小屋配属を仰せ付けられた者は、岡谷隼人の命令に一同従って一の備えに奮闘するように。少しでも岡谷隼人の命令に背くことは違法とします。岡谷が不要であるとするならば、討ち取った首級も放棄して防備に専念すること。
 一、『かまり』があってのことも岡谷の命令の通り備えを空けるように。
 一、何れの者であっても、防御陣地において、かりそめにも雑談をしてはならない。隼人だけが命令を下すこと。
 この3箇条に少しでも背くならば、『なにせうしん』も入れてはならず、違法とする。

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