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某、神尾備前守に寺部村が尾張国ではなく三河国に存在することを伝える

一昨日貴札忝致拝見候、然ハ土屋民部少輔内岡部惣左衛門と申人之妹、尾州之内寺部と申在所ニ罷有由、最前被仰下候、尾張之内ニ寺部と申在所有之儀、しかと覚不申候、三州之内大納言殿領分ニ寺部と申在所御座候処、御せんさく被成候へ共、三河之内ノ寺部にて可有御座由被仰下、得其意存候、右之内寺部村ハ渡部忠右衛門知行所にて御座候間、様子相尋候て、手形可進之候、成瀬隼人正二三日以前ニ當御地罷下候、拙者儀、近日罷上候間、於尾州ニ様子相尋、手形可進之候、恐惶謹言、

三月十八日

神尾備前守殿

→岐阜県史「某書状案」(村瀬俊二氏所蔵文書)

 一昨日、お手紙をかたじけなくも拝見しました。ということで土屋民部少輔の内の岡部惣左衛門という人の妹は、尾張国の寺部という在所にいるとのことを前に仰せでした。尾張の中に寺部という在所があるとは、全く記憶にありません。三河国の大納言殿領地に寺部という在所がありますので、穿鑿となってしまいましたが、三河内の寺部ということで仰ったことだろうと思います。右の寺部村は渡部忠右衛門の知行なので、様子を聞いて手形を進呈します。成瀬隼人正が2~3日以前にこの地に下ってきました。私は近いうちに上りますので、尾張での様子を尋ねて手形を進呈します。

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