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北条氏康、正木兵部太輔に自身の上野国遠征を告げ、留守中の対処を指示

為上州普請、近日出馬候、浦賀ニ者、左衛門大夫父子・遠山左衛門・布施・笠原已下人数、たふゝゝと指置候、可被存心安候、鎌倉ニ者、幻菴可有在陣候、氏政当府之間、其口之儀可被申越候、然間敵地ニ被付置目附、節ゝ可有注進候、其口之儀、悉皆任入候、上州ニハ廿日計可為逗留之間、帰陣之上、可申届候、恐々謹言、

三月十二日

氏康(花押)

正木兵部太輔殿

→戦国遺文 後北条氏編「北条氏康書状」(正木文書)

1558(永禄元)年に比定。

 上野国での普請のため、近日出馬します。浦賀には、左衛門大夫父子(北条綱成・氏繁)、遠山左衛門、布施氏、笠原氏以下の部隊が、多数駐屯していますからご安心下さい。鎌倉には幻庵(北条宗哲)が在陣するでしょう。氏政が当府(小田原)におりますので、そちら方面のことは指示を出します。ですから敵地に目付を置いて折々で報告をお願いします。そちらのことは、全てお任せしております。上野国には20日ばかり滞在の予定です。帰陣したらご連絡します。

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