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後北条氏、北条綱成に部隊編成を指示し自身には留守を命じる

「定条々」

一、来十日陣夫を相集、早速可出馬候、弥支度可被申付事、
一、其方者温気之砌ニ候間、此度者出陣被相止、留守尤候、人数之仕分之様子者、着到之内百人足柄、廿人其方ニ付置、貮百人参陣、可為此分候、然者此仕分悉記交名、来六日可被為見候、於此度者、関東之本意之際ニ候間、大事之動ニ候間、留守・動者共ニ少も無相違、手堅人衆之仕置可被申付候、就中前々被定置候軍法之品々、一色無相違様、是又改而可被申付事、

  已上

右、案所如件、

卯月三日

上総入道殿

→戦国遺文 後北条氏編「北条家定書写」(武州文書所収都筑郡宝袋寺文書)

年次不明。

 定。一、来る10日に陣夫を集めてすぐに出馬して下さい。念入りに支度を指示すること。一、あなたは健康が優れないので、今回の出陣は取り止めて留守がよいでしょう。部隊編成については、着到のうち100名は足柄、20名はあなた付き。残り200名を参陣するように分けて下さい。その編成名簿は来る6日に見られるようにして下さい。今度のことは関東での本意を遂げられるかの瀬戸際ですから、大切な戦争です。留守の者も出撃する者も共に少しの相違もありません。手堅く部隊編成を指示して下さい。とりわけ以前から決めておいた軍法の品々は1品でも相違がないよう、こちらも改めて指示すること。

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