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飯尾致実、謀叛の疑いに対し今川家に弁明する

乍恐申上候意趣者、於致実全不企謀叛、去頃三州発向之砌、致実有食送状者歟、徳川殿一味之由致讒言、依之可被誅相極之間、為遁其災難、称病気逃帰于本国畢、次白須賀之訳放火之事、全非致実所為、彼宿民手之過言也、然依時節悪敷、致実之所為之由蒙御疑事、可謂豊前守之不祥、其与徳川殿一味之事、所誰人之申更不可有其証、若致実於逆心必定者、自氏真卿三州御帰陣之砌、塞海道之通路楯籠于此城、可致合戦之処不及其術、如斯以道理虚実可有御糾明歟、聊不存叛逆之旨、献起請文上者、被分聞召預御厚免者、尤叶本望可抽忠節、若又於無御承引ハ不及力、掛命于此城討死可仕、以此趣宜可預洩達也、恐惶謹言、

三月晦日

飯尾豊前守致実 判

朝比奈備中守殿

瀬名陸奥守殿

同 中務大輔殿

朝比奈兵太夫殿

→静岡県史 資料編8 中世四 付録1 「飯尾致実書状写」(古簡編年三)

 恐れながら申し上げる意趣は、致実は全く謀叛を企てていないということです。以前三河国に出陣した際、致実の送り状を上程した者がいたのでしょうか、徳川殿と結託したという讒言があったそうです。これによる処罰を恐れたので、病気と称して本国に帰っていました。次に白須賀での放火ですが、致実が関与するところでは全くなく、あの宿の者たちの虚言です。時節が悪く致実のせいであるとの疑いを蒙ってしまいました。私豊前守の不徳の致すところでしょうか、私と徳川殿との結託のことは誰が言ったことなのか、証拠はないでしょう。もし致実の逆心が決定的ならば、氏真卿が三河から帰陣する際に海道を塞いでこの城に籠城すればよいことです。そのような合戦には及びませんでした。このような道理で虚実を糾明すべきではありませんか。叛逆の意図は少しも持っていないと起請文を差し上げます。お聞き届けいただけるならば、本望に思い忠節に励みます。もしお聞き届けないならば、及ばずながら命をかけこの城で討ち死にしようと思っています。この趣旨をもって宜しくご報告を行なって下さい。

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