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今川義元、戸田伝十郎が上野城所用を果たした功により褒美を与える

下条内弥門之分弐十壱貫八百六拾文并孫六分弐拾貫参百余之事

右就今度上野城所用、黄金百両・代物百貫、合参百参拾貫之分、令取越之条、宛行畢、永不可有相違、急用相調故忠節也、若彼郷自余之人江雖宛行之、只今出置分ハ、為各別可相除、此分限役之事者、可所務者也、仍如件、

弘治二年 丙辰

二月三日

治部大輔(花押)

戸田伝十郎殿

→静岡県史 資料編7「今川義元判物写」

 下条のうち弥門の分20貫860文と孫六の分20貫300文余りのこと。右は今度上野城の所用金として、黄金100両と代替物100貫、合わせて330貫分を調達させたので、宛行なった。この件は末永く相違はない。急用であったが調達したことは忠節である。もしあの郷を他の人間に宛行なうとしても、今回の出置分は特別に控除する。この分限役のことは、所務するように。

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