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織田信秀、水野十郎左衛門尉に戦線が平穏であると報告する

此方就在陣之儀、早々預御折帋、畏存候、爰許之儀差儀無之候、可被御安心候、先以其表無異儀候由、尤存候、弥無御油断、可被仰付儀肝要候、尚林新五郎可申候、恐々謹言、

閏十一月十一日

信秀

水野十郎左衛門尉殿

     御返報

→新編岡崎市史 「織田信秀書状写」

こちらで在陣する件ですが、早々とお手紙を預けていただき恐縮です。こちらでは、さしたることもありませんのでご安心下さい。そちらの戦線に異論はないことを聞き、ごもっともだと思います。いよいよご油断ないよう指示されることが肝要です。さらに林新五郎が申し上げるでしょう。

年次は欠いているが、閏11月とあることから1544(天文13)年と想定できる。この時、今川義元は後北条氏との戦闘『河東一乱』が終局を迎えつつあり、織田信秀は美濃攻略に失敗し主力を西三河に向けつつあった。

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