依田信蕃、遠江・駿河両国の軍勢が甲府に到着することを、柳沢宮内助に報ずる
返々南方衆ハ沼田・我妻之間中山之地取詰候、沼田一途無落着者、当表行努々有間敷候、扨亦遠州御人衆近日至于甲府御着候、為始曾下駿州衆大略甲へ御着候、可有五日内候、以上、 自兵庫殿注進候趣、具得其意候、南方衆越山之儀努々不可 …
返々南方衆ハ沼田・我妻之間中山之地取詰候、沼田一途無落着者、当表行努々有間敷候、扨亦遠州御人衆近日至于甲府御着候、為始曾下駿州衆大略甲へ御着候、可有五日内候、以上、 自兵庫殿注進候趣、具得其意候、南方衆越山之儀努々不可 …
参州吉田之郷戸田主殿助同心中条又助給恩地十五貫文之事 右、百姓吉田九郎左衛門彼員数近年令隠田、三貫文致蔵入、其外私曲之旨申之条、去年以印判申付候処、難渋之由、太以曲事也、然者彼田地請取之、参貫文者如近年令蔵入、十二貫文者 …
去十二日之一札今十六辰刻披見候、仍二日ニ四郎人衆、其方人数箱根・足柄へ懸急候由、即日被帰候、又大藤八日番替尤ニ候、来ル廿二日ニ人数を被立、廿ニ昼替尤ニ候、従而足柄手蜜ニ付而、其方人衆不足之由無余儀候、小田原程近候間、小幡 …
彦六郎所へ十五日之一札、今十六辰刻披見候、返答も非失念申候、仍去朔日四郎人衆・其方人衆足柄へ懸着候、五日ニ罷帰候、左候ヘハ四日打込ニ候、又大藤一日番替遅先番致之候、合五日当番延候間、来廿一人衆を被立、廿ニ書替尤候、随而足 …
急度染一筆候、和田辺麦毛純■■■、頻而告来候条、来■日■井田■、四日■和田■移陣候、然者人数一向不調候、苻内可被相触候、次駿州江信虎様御越候哉否、節々彼国之模様被聞、註進待入候、随而於于旗屋之祈念之事、無疎略御勤行尤之由 …
内々以使者可令申之処、惣印軒可参之由承候際、令啓候、信虎女中衆之事、入十月之節、被勘易筮可有御越之由尤候、於此方も可申付候、旁以天道被相定候者、本望候、就中信虎隠居分事、去六月雪斎并岡部美濃守進候刻、御合点之儀候、漸向寒 …
態申候、仍被寄存知栗毛馬到来、御懇之儀候、寔祝着之至候、猶佐久間可申候、恐々謹言、 十二月廿八日 三介 信長(花押) 三宅孫介殿 進之候、 →愛知県史 資料編11「織田信長書状」(織田文書) 花押の形状より15 …
就田舎忩劇、当年御礼遅怠致迷惑候、以御次御執成本望存候、仍去六月廿四日於攝州不慮之一戦、右京大夫被失利之由候、京都之様体無心元候条、即可申上候処、三川・尾張之境、依令鉾楯緩怠候、宜預御執合候、猶重可申入候、恐々謹言 八月 …
今日辰刻、於土居口合戦被討捕山田惣三郎、粉骨無比類候、連ゝ不可有疎意候、恐々謹言、 四月廿日 范可(花押) 桑原甚三殿 進之候、 →岐阜県史「斎藤義龍書状」(桑原文書) 1556(弘治2)年に比定。 今日午前9時頃、 …
就在陣之儀、御尋快然候、殊枝柿五十・抹茶拝受、御懇情之至候、猶武井可申候、恐惶敬白、 五月廿一日 斎藤左近大夫 道三(花押) 拝進汾陽寺 尊答 →岐阜県史「斎藤道三書状」(汾陽寺文書) 在陣のことについてお尋ね戴 …