後北条氏、厩橋での軍紀徹底を在城衆に指示する
(前欠) 五百六十四人 右、役所之定可為如此候、掟書物、始中終板ニ顕之、厩橋之地ニ定置候間、彼文言聊無相違、厳密ニ可被申付候、仍如件、 甲申 二月十二日 上総入道殿 遠山修理亮殿 木部宮内助殿 小幡左衛門大夫殿 和田左衛 …
(前欠) 五百六十四人 右、役所之定可為如此候、掟書物、始中終板ニ顕之、厩橋之地ニ定置候間、彼文言聊無相違、厳密ニ可被申付候、仍如件、 甲申 二月十二日 上総入道殿 遠山修理亮殿 木部宮内助殿 小幡左衛門大夫殿 和田左衛 …
就今度憲当入国令供奉、此口在陣、依之、常・野両国諸家中、其外出張之儀、度々雖及催促候、遠境故歟、其首尾于今遅々、然者、乍御大儀、彼口へ打御越、各被引立簡要候、上・武之衆、悉被復先忠候、様躰之事、委細御見聞之趣、御伝話専一 …
当郡三浦之内上宮田于て、竹木切取者有之者、即当津三崎へ可申上候、其方我々被官ニ付而、侘言無余儀間、判形出置候、舟衆へも度々此旨趣申届候間、無躰ニ背此法度、切取輩有之者、急度召連当地可来候、遂其糾明、可処其科者也、仍状如件 …
就敵久留里張陣、御越山之儀申入処、早速去月上旬被発進御旗、明間・岩下・沼田之城被攻落、為始北条孫次郎、宗者数百人被討捕、白井・惣社・蓑勾悃望之段風聞、目出度奉存候、時茂年来之願望此時候、然間、関東静謐不可移時日候、弥以被 …
「定条々」 一、来十日陣夫を相集、早速可出馬候、弥支度可被申付事、 一、其方者温気之砌ニ候間、此度者出陣被相止、留守尤候、人数之仕分之様子者、着到之内百人足柄、廿人其方ニ付置、貮百人参陣、可為此分候、然者此仕分悉記交名、 …
「制札」 於相刕鶴岡八幡宮社内、当手軍勢甲乙人等、濫妨狼藉之事、 右、至于違犯之輩者、可被処罪科之状如件、 永禄四年辛酉 三月廿二日 資正(花押) →鎌倉市史 史料編「太田資正禁制」(鶴岡八幡宮文書) 制札(禁止条項) …
「謹奉納願書之事」 一 三年之間毎月可奉参詣事 一 万度可申事 今度駿・豆両国之取合、氏康如存可被為遂本意候、於其上者、右之二ヶ条、急度可奉果行者也、 天文乙巳十月十日 平氏康敬白 奉献 八幡大菩薩 御宝殿下 →鎌 …
(今川氏親花押) 「■制」 於鶴岡宮中、当手之軍勢甲乙人等、致濫妨狼藉之事、 右、有違犯之族者、速可処罪科者也、仍如件、 永正元年九月日 →鎌倉市史 史料編「今川氏親禁制」(鶴岡八幡宮文書) 禁制(禁止条項) …
「奉寄 鶴岡八幡宮」 相模国東大友半分 松田左衛門尉跡、 事 右、為当社領、所令寄附之状如件、 寛正三年十二月廿一日 左馬頭源朝臣(花押) →鎌倉市史 史料編「堀越御所 足利政知 寄進状」(鶴岡八幡宮文書) 鶴岡八幡宮へ …
就拙者手前不罷成、鎌倉屋敷上下共ニ、御好味与申、貴辺へ渡置申候、為此替兵粮卅三俵請取申候、彼屋敷為先御証文、永代遣之置候上者、不可有別条候、為後日、一筆遣之置候者也、仍如件、 天正十六年 戌子 霜月十五日 蔭山長門守(花 …