北条氏康、野田氏に房総の状況があって出陣が遅れていることを告げる
幸便間、令啓候、於御当地無二被遂忠信、被尽粉骨段、御高名之至、誠以不及是非次第候、然者、早ゝ可出馬候処、両総相調子細依有之、令遅ゝ候、此上ハ急度致出陣、葛西筋儀、涯分可走廻候、条ゝ義板橋申含候処、路次不自由故、于今江城逗 …
幸便間、令啓候、於御当地無二被遂忠信、被尽粉骨段、御高名之至、誠以不及是非次第候、然者、早ゝ可出馬候処、両総相調子細依有之、令遅ゝ候、此上ハ急度致出陣、葛西筋儀、涯分可走廻候、条ゝ義板橋申含候処、路次不自由故、于今江城逗 …
横瀬敵陣へ出候付而、其地初口ニ成候、此度可抽忠儀事、専要候、仍鉄炮薬玉進之候、猶用所付而重而可進候、委曲使者可申候、恐々謹言 十月四日 氏康(花押) (宛所欠) →戦国遺文 後北条氏編 「北条氏康書状」(千葉県市立郷土博 …
「真壁殿 自河越」 廿四日注進状廿八到着、具被閲候、上州沼田谷越衆出張、依之至于河越出馬候、於備可御心安候、於相替儀者、自是可令申候、 御膝下御用心等、手遣候共、助言御申簡要候、恐々謹言、 九月廿八日 氏康(花押) 真壁 …
中筋へ敵動ニ付而、山中堅固ニ可拘之、此度抽而走廻ニ付而者、随望可被加御褒美、然者侍者中兵粮之事相改、一所ニ集置可申、敵手之及所ニ置申間敷者也、仍如件、 三月八日 篠窪弥太郎 奉 (宛所欠) →戦国遺文 後北条氏編 「北条 …
(前欠)自西云、又対公儀忠儀、何事歟可過之候、能ゝ致塩味、何様ニも人衆之嗜専肝候、武具等致様、委細ニ書記畢、各少も無異議可致之候、抑軍法者、国家安危所也、就背法度者、随罪科之軽重、無用捨可申出条、兼而無誤様ニ致覚悟、可申 …
■■通候、令啓候、仍敵中筋江相働、号当麻■陣取候、兼日如被仰合候、甲府御加勢、早ゝ千喜良口へ被引出可給候、為其信玄江も以書状、■■候、御稼憑入存候、定自氏康委細可被申越候、恐々謹言、 三月三日 大石源三 氏照(花押) 加 …
覚 一氏直 馬廻 七百騎 一北条十郎 岩月城・松山の城二ヶ所 千五百騎 一氏政 馬廻 五百騎 一北条陸奥守 竹山の城 水見城 小山城 関宿ノ城 栗橋城 江ノ本城 四千五百騎 一同安房守 はちかたの城 ふかやの城 前はし城 …
一番 二月朔日 貮万人 十そなへ 家康 二番 二月五日 一万三千人 六そなへ 信雄 四千人 蒲生松坂少将 三千二百人 上野宰相 津の中将 二千百人 森右近金山侍従 二千五百人 池田三左岐阜侍従 千二百六十人 稲葉右京郡上 …
九日之註進状、今十二未刻、到来、越府へ憑入脚力度ゝ被差越由、祝着候、然而敵者、去年之陣庭喜瀬川ニ陣取、毎日向韮山・興国相動候、韮山者、于今外宿も堅固ニ相拘候、於要害者、何も相違有間敷候、人衆無調、于今不打向、無念千万候、 …
今度当城楯籠、可走廻之由候、尤神妙候、走廻之処、至于分明者、本意之上、又ゝ望之処一所、可遣者也、仍如件、 永禄四年 三月十日 氏政(花押) 小畑源太郎殿 →小田原市史 資料編470「北条氏政判物写」(諸氏家蔵文書) こ …